第2回の翻訳 (新訳)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 10:27 UTC 版)
「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「第2回の翻訳 (新訳)」の解説
2回目の翻訳は、第1回翻訳における削除部分を復活するとともに、全編にわたって言葉使いを読みやすいように改め、1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)12月にかけて『潤一郎新訳 源氏物語』全12巻として刊行された。これは「新訳」「12巻本」などと呼ばれており、豪華版全5巻・別巻1巻や新書版全8巻も刊行されている。1945年(昭和20年)10月9日付けで谷崎が中央公論社社長嶋中雄作に宛てた手紙によれば、谷崎は「源氏は今度は先般の訳に手心或いは削除したる部分を原文通りに改め完全なる訳として出版するも可、今一度くらいあの紙型を用いるも可」と述べ、当初は訳を改めて出版することと並んで旧訳をそのまま増刷するという選択肢も示している。旧訳とは情勢が一変した時代に作成されたこの新訳でも、山田孝雄が旧訳から継続して校閲に当たっており、旧訳と同様に「校閲 山田孝雄」と表記されている。山田の指示は、このときも多くが皇室関係の記述についてのものであり、谷崎はそのほとんどについて指示に従って書き直していたという。 当初、新訳は削除部分を復活するほかは比較的小規模の改定にとどめる予定であったとされるが、それでも谷崎は作業に当たっては専門家の意見を求めることとなった。谷崎はまず新村出の意見を求め、新村は澤潟久孝の意見を求め、澤潟は玉上琢弥とその補佐役として榎克朗を紹介し、それ以後しばらくは榎が主として作業を行うこととなった。1948年(昭和23年)9月16日 榎が初めて谷崎宅に赴き、谷崎と面談した。このとき榎が最初に命じられたのは『源氏物語』についての作業ではなく『世継物語』において老大納言と若い北の方との間に子供があったのかを調べるという『少将滋幹の母』執筆のための歴史物語に関する調査であった。それ以後、榎は週に2・3回谷崎邸に出向くようになる。1949年(昭和24年)5月に入り、榎は旧訳において削除された部分の洗い出しを命じられ、『源氏物語』新訳のための本格的な作業が始まる。1949年(昭和24年)6月 谷崎は榎とともに公職追放のため隠棲状態になっていた山田孝雄を伊勢に訪ね、この新訳においても校閲を願った。このとき谷崎が山田に対して「前回の訳に誤りなどありましたらご指摘頂きたい。」と申し出たのに対して、山田は「私が校閲したのだから誤りなどあり得ません」と述べたものの、新訳に対する改めての校閲については了承した。1949年(昭和24年)10月に刊行された『中央公論』文芸特集第1号において、『藤壺 「賢木」の巻補追』を発表し、旧訳で省略した「賢木」巻の一部を補筆した。1950年(昭和25年)5月、榎が病気となったため同月一杯で助手を辞し、6月に入院する。代わりに玉上琢弥が直接作業を行うようになるとともに、宮地裕が新たに作業に加わる。1951年(昭和26年)1月26日、京都大学文学部の教務補佐員であった玉上が谷崎と初面談した。この際に玉上は発表したばかりの自身の論文「源氏物語音読論」の抜き刷りを名刺代わりに渡しており、玉上はこれが谷崎の新訳における文体の変更につながったのではないかとしている。1951年(昭和26年)1月31日に玉上は初めて仙台に山田を訪ねている。 この翻訳は新たに原稿用紙に書き下ろされたのではなく、当時1セット10円程度で幾らでも購入できるようになっていた旧訳の本を何セットも用意し、その旧訳の本に加筆訂正する形で執筆された。まず最初に玉上の指導のもとで榎、宮地らを含む若手の学者、大学院生、国語国文科の学生ら がいくつもの旧訳の本にそれぞれの意見を書き込み、玉上に提出した。ただし「若紫までは私のした仕事があったので、それを基にすればよく、末摘花からを分担して貰った」とされる。玉上がそれらの意見を集約し、改めて一つの旧訳の本に書き込んで谷崎の元に送った。谷崎はこれらの意見を参考にして、別の旧訳の本に新たな訳文を書き込んで(そのため特に書き込みのなかった部分は旧訳のままとなった)中央公論社に送った。中央公論社ではこれをもとに、ゲラを複数部作成して関係者に送付した。なお、伊吹和子によるとタイプ原稿は4部作成され、1部が中央公論社に保管されたほか、玉上、校閲者の山田、そして谷崎自身に送られたというが、宮地によると宮地と榎にもタイプ原稿が送られていたという。玉上と校閲者の山田はゲラを見てそのゲラに書き込みを行い、それぞれ谷崎の元に送った。谷崎はこれらの書き込みの入ったゲラを参考にして最終稿を作成したとされる。 これらの作業の結果、膨大な未定稿や参考資料が作成され、後世に残されることとなった。これらのうち最もまとまって存在するのは、谷崎自身の手許に残り、その後谷崎の遺族、兵庫県の芦屋市谷崎潤一郎記念館を経て國學院大學が管理することとなった以下のものである。 玉上による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「若菜下」の一部を欠く) 山田による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」) 谷崎による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」および「源氏物語和歌講義上下」、ただし複数冊存在するものもある) 山田書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「浮舟」の一部を欠く) 玉上書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」) 谷崎書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「浮舟」の一部を欠く) なお、以下のような理由から、上記以外の中間段階の草稿ないし資料がいくつか存在したと考えられる。 國學院大學に現存する上記の「谷崎書き入れ旧訳本」の本文と、それを元に中央公論社で作成されたとされるタイプ原稿の本文は、一致しないことがしばしばあることから、國學院大學に現存する書き入れ旧訳本とは別に、タイプ原稿の直接の元になった谷崎による書き入れ旧訳本が存在すると考えられる。伊吹和子によると「中央公論社にこのときの谷崎の原稿が保管されている」としていることから、伊吹の言うところの「中央公論社に保管されている原稿」がそれである可能性がある。 玉上は後に1964年(昭和39年)から1969年(昭和44年)にかけて、自身が『源氏物語』の注釈書『源氏物語評釈』を著すことになるが、その際「この書き入れ旧訳本が大変役に立った」と語っている。また、玉上の元にある旧訳本には幾つかの巻の巻末に作業が完了した日付が書き込まれているとされるが、國學院大學蔵本にはそのような書き込みは全く存在しない。さらに、玉上が作業の進行状況を記録した大学ノートには、幾つかの巻については、作業が完了したとされる日と谷崎に送ったとする日の間に間が開いており、昭和27年(1952年)6月8日の項目には「巻十一浄写了」との記述が残されている。これらのことから、谷崎の元に送られたのは「浄書」であり、これとは別に玉上の手許に残された「書き入れ旧訳本」も存在したと考えられる。 玉上の書き入れ本の元になった、玉上の指導の許で若手の学者、大学院生、国語国文科の学生らが書き込んだ旧訳の本が数組存在するはずであるが、それらは現存しない。 この新訳では、その序文において以下の「3つの方針」が掲げられ、その上で「私は此の方針に添うために、旧訳の文体を踏襲することを断念し、新しい文体に書き改める決意をした。」と語っており、その結果旧訳が「である」体であったのに対してこの新訳は「ですます」体になっている。 文章の構造をもっと原文に近づけて、能う限り単文で行くようにすること。 旧訳ではなほ教壇に於ける講義口調、乃至翻訳口調が抜け切れていないと云ふ非難があったのに鑑み、今度は一層、実際に口でしゃべる言葉に近づけること。 旧訳では敬語が余りに多きに過ぎ、時とすると原文よりも多いくらいであったのは、確かに欠点と云うべきであるから、今度は敬語の数を適当に加減すること。 この翻訳の刊行も順調にはいかなかった。1951年(昭和26年)5月30日に巻1を刊行したあと、翌月には巻2を刊行する計画であったが、実際に巻2が刊行されたのは1951年(昭和26年)9月10日であった。巻2の刊行が遅れたのは、削除部分の復活に手間を要したためである。1952年(昭和27年)4月、東京滞在中であった谷崎が高血圧症のために倒れ、その影響で右手が不自由となったため、巻3以降の刊行は大きく遅れた。谷崎自身による筆記が困難になったため口述筆記を検討し、そのために4・5人の人物を試用したり、テープレコーダーの使用なども検討されたりしたが、第7巻の途中の「柏木」巻から最終巻までが伊吹和子による口述筆記となった。この口述筆記については4・5人の人間を試した後に旧字旧かなに慣れているという理由で、京都大学文学部国語学国文学研究室に嘱託として勤務していた伊吹が候補として選ばれ、伊吹は1953年(昭和28年)5月18日に谷崎と面談し、1週間ほど試用期間として手紙の代筆や書類の整理などを行った後、正式に採用された。この伊吹を雇うための費用は全て中央公論社が出しており、伊吹は後に編集者として中央公論社に入社している。 この翻訳は刊行当初「新訳」と呼ばれていたが、1959年(昭和34年)に新書版を刊行した際、「もう新訳でもないだろう」という理由で、それ以後は単に「潤一郎訳」と表記されるようになった。 現在残る各種資料による、各巻ごとの進行状況は以下のようになる。 巻名および巻序巻ごとの作業の進行状況等 新訳本の刊行状況第01帖 桐壺旧訳本巻1所収 昭和26年3月に書き始めた。 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収 第02帖 帚木旧訳本巻1所収 昭和26年2月24日 玉上が旧訳書き込み本の雨夜の品定めの部分を谷崎に送る。昭和26年3月26日夜から28日 玉上がタイプ原稿に書込。 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収 第03帖 空蝉旧訳本巻1所収 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収 第04帖 夕顔旧訳本巻2所収 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収 第05帖 若紫旧訳本巻2所収 昭和26年2月2日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年2月13日 玉上が宮地へ作業を依頼。 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収 第06帖 末摘花旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査を依頼。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第07帖 紅葉賀旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査を依頼。昭和26年4月3日 玉上が旧訳本への書込を完了。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第08帖 花宴旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査を依頼。昭和26年4月8日 玉上が旧訳本への書込を完了。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第09帖 葵旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査を依頼。昭和26年2月18日 Yが調査結果の一部を玉上に持参(この巻の内容が含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年5月23日 玉上が旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月8日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第10帖 賢木旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査を依頼。昭和26年2月18日 Yが調査結果の一部を持参(この巻の内容が含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年5月23日 玉上が旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月11日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第11帖 花散里旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査を依頼。昭和26年2月18日 Yが調査結果の一部を持参(この巻の内容が含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年5月23日 玉上が書込済の旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月11日 玉上が書込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収 第12帖 須磨旧訳本巻5所収 昭和26年6月10日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年8月8日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第13帖 明石旧訳本巻5所収 昭和26年8月8日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第14帖 澪標旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査を依頼。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和26年10月31日 玉上がタイプ原稿に書込。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第15帖 蓬生旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査を依頼。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第16帖 関屋旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査を依頼。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第17帖 絵合旧訳本巻7所収 昭和26年8月5日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第18帖 松風旧訳本巻7所収 昭和26年8月17日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収 第19帖 薄雲旧訳本巻7所収 昭和26年8月26日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和26年9月3日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年2月17日 玉上がタイプ原稿を「一見了」。18日 玉上が宮地へ依頼。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第20帖 朝顔旧訳本巻8所収 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第21帖 少女旧訳本巻8所収 昭和26年11月4日 玉上が旧訳本への書込を完了。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第22帖 玉鬘旧訳本巻9所収 昭和26年12月20日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年1月30日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年4月4日から12日 谷崎「玉鬘の更正」。昭和27年4月7日 宮地がタイプ原稿を玉上に持参。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第23帖 初音旧訳本巻9所収 昭和27年1月30日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年4月11日 宮地がタイプ原稿を玉上に持参。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第24帖 胡蝶旧訳本巻9所収 昭和27年1月18日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年1月30日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年4月12日 宮地がタイプ原稿を玉上に持参。昭和27年4月17日 谷崎「仕事は胡蝶・蛍あたりに進んでいる」。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収 第25帖 蛍旧訳本巻10所収 昭和27年4月17日 谷崎「仕事は胡蝶・蛍あたりに進んでいる」。昭和27年5月6日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年6月5日 宮地が玉上へタイプ原稿を持参。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第26帖 常夏旧訳本巻10所収 昭和27年3月10日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年5月6日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年8月1日 玉上がタイプ原稿に書込。昭和27年8月 谷崎がタイプ原稿の「常夏・篝火のあたり」に取り組む。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第27帖 篝火旧訳本巻10所収 昭和27年4月14日朝 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年5月6日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年6月17日 谷崎「篝火を訳了」。昭和27年8月1日 玉上がタイプ原稿に書込。昭和27年8月 谷崎がタイプ原稿の「常夏・篝火のあたり」に取り組む。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第28帖 野分旧訳本巻10所収 昭和27年5月6日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年6月18日 谷崎「野分の訳を始める」。昭和27年6月22日 谷崎「野分を訳了」。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第29帖 行幸旧訳本巻10所収 昭和27年5月6日 玉上が書き込んだ旧訳本を谷崎に送付。昭和27年8月 谷崎「第一稿の原稿は行幸に進む」。昭和27年8月28日 谷崎「行幸の第一稿が成る」。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第30帖 藤袴旧訳本巻11所収 昭和27年5月10日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年8月31日 谷崎「藤袴にとりかかる」。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第31帖 真木柱旧訳本巻11所収 昭和27年5月11日 玉上が旧訳本への書込を完了。6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第32帖 梅枝旧訳本巻11所収 昭和27年5月18日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年10月20日 谷崎「梅枝を訳了」。昭和27年11月6日 谷崎「源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第33帖 藤裏葉旧訳本巻11所収 昭和27年5月20日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年11月6日 谷崎「谷崎源氏第五巻の原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収 第34帖 若菜上旧訳本巻12所収 昭和27年9月9日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年1月30日 谷崎が若菜上の三分の一を中央公論社に送る。 昭和28年6月1日刊行新訳本巻6所収 第35帖 若菜下旧訳本巻13所収 昭和28年3月1日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年5月上旬 谷崎「若菜下訳了」。 昭和28年6月1日刊行新訳本巻6所収 第36帖 柏木旧訳本巻14所収 昭和28年5月25日 谷崎が伊吹和子による口述筆記を開始。昭和28年6月18日 口述筆記完了。昭和28年8月11日、12日 校正が終了。昭和28年10月10日谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる、 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第37帖 横笛旧訳本巻14所収 昭和28年5月1日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年6月24日 口述筆記完了。昭和28年7月7日 谷崎のもとにタイプ刷が届く。昭和28年7月8日 谷崎がタイプ刷の点検を始める。昭和28年7月12日 谷崎が山田先生他の意見書の到着を待つ。昭和28年7月14日 谷崎のタイプ刷の推敲が完了する。昭和28年8月11日、12日 校正が終了。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第38帖 鈴虫旧訳本巻14所収 昭和28年5月8日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年6月30日 口述筆記完了。昭和28年7月7日 タイプ刷が谷崎の許に届く。昭和28年7月8日 谷崎がタイプ刷の点検を始める。昭和28年7月12日 谷崎が山田先生他の意見書の到着を待つ。昭和28年7月16日 谷崎のタイプ刷の推敲が完了する。昭和28年8月11日、12日 校正が終了する。昭和28年10月10日谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第39帖 夕霧旧訳本巻15所収 昭和28年7月12日 口述筆記開始。昭和28年7月21日 口述筆記の4分の1を終了。昭和28年7月23日 夕霧のはじめ3分の1を中央公論社に送る。昭和28年7月27日 口述筆記が半ばにさしかかる。昭和28年8月2日 夕霧の始め約三分の二を中央公論社に発送。昭和28年8月8日 夕霧の口述筆記完了。昭和28年10月10日谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第40帖 御法旧訳本巻16所収 昭和28年9月7日 玉上がタイプ原稿に書込。昭和28年8月29日 御法の口述筆記完了。昭和28年8月31日 御法を中央公論社に送る。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第41帖 幻旧訳本巻16所収 昭和28年9月5日 口述筆記完了。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 雲隠旧訳本巻16所収 昭和28年9月5日 口述筆記完了。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第42帖 匂宮旧訳本巻16所収 昭和28年7月28日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年9月9日 口述筆記完了。昭和28年9月13日 玉上がタイプ原稿に書込。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社社長嶋中鵬二に「第七巻(柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる。 昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 第43帖 紅梅旧訳本巻16所収 昭和28年8月25日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年10月10日 谷崎「もうすぐ紅梅がすむところ」。昭和28年10月19日 口述筆記完了。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収 第44帖 竹河旧訳本巻16所収 昭和28年10月19日 口述筆記にとりかかる。昭和28年11月27日 口述筆記完了。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収 第45帖 橋姫旧訳本巻17所収 昭和28年9月11日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和28年12月上旬 谷崎が中央公論社へ橋姫巻を発送。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収 第46帖 椎本旧訳本巻17所収 昭和28年11月1日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年1月17日 口述筆記完了。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収 第47帖 総角旧訳本巻18所収 昭和29年1月24日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年1月19日 口述筆記開始。昭和29年2月17日 口述筆記完了。昭和29年3月6日 谷崎が総角の校正を進める。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収 第48帖 早蕨旧訳本巻18所収 昭和29年2月8日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年3月6日 口述筆記完了。昭和29年3月12日 早蕨の原稿を中央公論社に届ける。 昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収 第49帖 寄生旧訳本巻19所収 昭和29年3月1日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年3月13日 口述筆記はじまる。昭和29年3月22日 原稿の三分の二を中央公論社に送付。昭和29年4月26日 口述筆記完了。 昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収 第50帖 東屋旧訳本巻20所収 昭和29年4月11日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年5月17日 口述筆記完了。 昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収 第51帖 浮舟旧訳本巻21所収 昭和29年4月29日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年6月12日 口述筆記完了、 昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収 第52帖 蜻蛉旧訳本巻22所収 昭和29年6月14日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年7月13日 口述筆記完了。 昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収 第53帖 手習旧訳本巻23所収 昭和29年7月28日 口述筆記完了。 昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収 第54帖 夢浮橋旧訳本巻23所収 昭和29年6月23日 玉上が旧訳本への書込を完了。昭和29年7月31日 口述筆記完了。昭和29年7月 全ての作業を終える。 昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収 配本と巻立 源氏物語 巻1 中央公論社 1951年(昭和26年)5月30日刊行第01帖 桐壺、第02帖 帚木、第03帖 空蝉、第04帖 夕顔、第05帖 若紫 源氏物語 巻2 中央公論社 1951年(昭和26年)9月10日刊行第06帖 末摘花、第07帖 紅葉賀、第08帖 花宴、第09帖 葵、第10帖 賢木、第11帖 花散里 源氏物語 巻3 中央公論社 1951年(昭和26年)12月10日刊行第12帖 須磨、第13帖 明石、第14帖 澪標、第15帖 蓬生、第16帖 関屋、第17帖 絵合、第18帖 松風 源氏物語 巻4 中央公論社 1952年(昭和27年)5月5日刊行第19帖 薄雲、第20帖 槿、第21帖 少女、第22帖 玉鬘、第23帖 初音、第24帖 胡蝶 源氏物語 巻5 中央公論社 1952年(昭和27年)11月30日刊行第25帖 蛍、第26帖 常夏、第27帖 篝火、第28帖 野分、第29帖 行幸、第30帖 藤袴、第31帖 真木柱、第32帖 梅枝、第33帖 藤裏葉 源氏物語 巻6 中央公論社 1953年(昭和28年)6月1日刊行第34帖 若菜上、第35帖 若菜下 源氏物語 巻7 中央公論社 1953年(昭和28年)10月20日刊行第36帖 柏木、第37帖 横笛、第38帖 鈴虫、第39帖 夕霧、第40帖 御法、第41帖 幻、雲隠、第42帖 匂宮 源氏物語 巻8 中央公論社 1954年(昭和29年)3月31日刊行第43帖 紅梅、第44帖 竹河、第45帖 橋姫、第46帖 椎本、第47帖 総角 源氏物語 巻9 中央公論社 1954年(昭和29年)6月30日刊行第48帖 早蕨、第49帖 宿木、第50帖 東屋 源氏物語 巻10 中央公論社 1954年(昭和29年)9月30日刊行第51帖 浮舟、第52帖 蜻蛉、第53帖 手習、第54帖 夢浮橋 源氏物語 巻11 中央公論社 1954年(昭和29年)12月5日刊行各巻細目、人物略説、人名名寄 源氏物語 巻12 中央公論社 1954年(昭和29年)12月5日刊行隆能源氏物語絵巻、巻別系図、巻名出所、年立図表、主要人物官位年齢一覧、源氏物語総目次
※この「第2回の翻訳 (新訳)」の解説は、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の解説の一部です。
「第2回の翻訳 (新訳)」を含む「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事については、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の概要を参照ください。
- 第2回の翻訳のページへのリンク