第2回の翻訳とは? わかりやすく解説

第2回の翻訳 (新訳)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 10:27 UTC 版)

谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「第2回の翻訳 (新訳)」の解説

2回目翻訳は、第1回翻訳における削除部分復活するとともに全編わたって言葉使い読みやすいように改め1951年昭和26年)から1954年昭和29年12月にかけて『潤一新訳 源氏物語』全12巻として刊行された。これは「新訳」「12巻本」などと呼ばれており、豪華版5巻別巻1巻新書版8巻刊行されている。1945年昭和20年10月9日付け谷崎中央公論社社長嶋中雄作宛てた手紙によれば谷崎は「源氏今度先般の訳に手心或いは削除した部分原文通り改め完全なる訳として出版するも可、今一度くらいあの紙型用いるも可」と述べ当初は訳を改め出版することと並んで旧訳そのまま増刷するという選択肢示している。旧訳とは情勢一変した時代作成されたこの新訳でも、山田孝雄旧訳から継続して校閲当たっており、旧訳同様に校閲 山田孝雄」と表記されている。山田指示は、このときも多く皇室関係記述についてのものであり、谷崎はそのほとんどについて指示に従って書き直していたという。 当初新訳削除部分復活するほかは比較小規模改定とどめる予定であったとされるが、それでも谷崎作業当たって専門家の意見求めることとなった谷崎はまず新村出意見求め新村は澤潟久孝の意見求め、澤潟は玉上琢弥とその補佐役として克朗を紹介し、それ以後しばらくは主として作業を行うこととなった1948年昭和23年9月16日 初め谷崎宅に赴き、谷崎面談した。このとき最初に命じられたのは『源氏物語』についての作業ではなく世継物語』において老大納言と若い北の方との間に子供があったのかを調べるという『少将滋幹の母執筆のための歴史物語に関する調査であった。それ以後は週に2・3谷崎邸に出向くうになる1949年昭和24年5月入り旧訳において削除され部分洗い出し命じられ『源氏物語』新訳のための本格的な作業が始まる。1949年昭和24年6月 谷崎とともに公職追放のため隠棲状態になっていた山田孝雄伊勢訪ね、この新訳においても校閲願った。このとき谷崎山田に対して前回の訳に誤りなどありましたご指摘頂きたい。」と申し出たに対して山田は「私が校閲したのだから誤りなどあり得ません」と述べたものの、新訳対す改めての校閲については了承した1949年昭和24年10月刊行された『中央公論文芸特集第1号において、『藤壺賢木」の巻補追』を発表し旧訳省略した賢木巻の一部を補筆した。1950年昭和25年5月病気となったため同月一杯助手辞し6月入院する代わりに玉上琢弥直接作業を行うようになるとともに宮地裕新たに作業に加わる。1951年昭和26年1月26日京都大学文学部教務補佐であった玉上谷崎と初面談したこの際玉上発表したばかりの自身論文源氏物語音読論」の抜き刷り名刺代わりに渡しており、玉上はこれが谷崎新訳における文体変更つながったではないかとしている。1951年昭和26年1月31日玉上初め仙台山田訪ねている。 この翻訳新たに原稿用紙書き下ろされたのではなく当時1セット10円程度幾らでも購入できるようになっていた旧訳の本を何セット用意し、その旧訳本に加筆訂正する形で執筆された。まず最初に玉上指導のもとで宮地らを含む若手学者大学院生国語国文科学生ら がいくつも旧訳本にそれぞれの意見書き込み玉上提出した。ただし「若紫までは私のした仕事があったので、それを基にすればよく、末摘花からを分担して貰ったとされる玉上がそれらの意見集約し改め一つ旧訳本に書き込んで谷崎元に送った谷崎はこれらの意見参考にして、別の旧訳本に新たな訳文書き込んで(そのため特に書き込みのなかった部分旧訳のままとなった中央公論社送った中央公論社ではこれをもとに、ゲラ複数作成して関係者送付した。なお、伊吹和子によるとタイプ原稿4部作成され1部中央公論社保管されたほか、玉上校閲者の山田、そして谷崎自身送られたというが、宮地によると宮地にもタイプ原稿送られていたという。玉上校閲者の山田ゲラ見てそのゲラ書き込み行いそれぞれ谷崎元に送った谷崎はこれらの書き込み入ったゲラ参考にして最終稿作成したとされる。 これらの作業結果膨大な未定稿参考資料作成され後世残されることとなった。これらのうち最もまとまって存在するのは、谷崎自身の手許に残りその後谷崎遺族兵庫県芦屋市谷崎潤一郎記念館経て國學院大學管理することとなった以下のものである玉上による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「若菜下」の一部を欠く) 山田による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」) 谷崎による書き入れのある旧訳本(「桐壺」から「夢浮橋」および「源氏物語和歌講義上下」、ただし複数存在するものもある) 山田書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「浮舟」の一部を欠く) 玉上書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」) 谷崎書き入れタイプ原稿(「桐壺」から「夢浮橋」、ただし「浮舟」の一部を欠く) なお、以下のような理由から、上記以外の中間段階草稿ないし資料いくつか存在した考えられる國學院大學現存する上記の「谷崎書き入れ旧訳本」の本文と、それを元に中央公論社作成されとされるタイプ原稿本文は、一致しないことがしばしばあることから、國學院大學現存する書き入れ旧訳本とは別にタイプ原稿直接元になった谷崎による書き入れ旧訳本が存在する考えられる伊吹和子によると「中央公論社にこのときの谷崎原稿保管されている」としていることから、伊吹の言うところの「中央公論社保管されている原稿」がそれである可能性がある。 玉上は後に1964年昭和39年)から1969年昭和44年)にかけて、自身『源氏物語』注釈書源氏物語評釈』を著すことになるが、その際「この書き入れ旧訳本が大変役に立った」と語っている。また、玉上元にある旧訳本に幾つかの巻の巻末作業完了した日付書き込まれているとされるが、國學院大學蔵本にはそのような書き込みは全く存在しない。さらに、玉上作業進行状況記録した大学ノートには、幾つかの巻については、作業完了したとされる日と谷崎送ったとする日の間に間が開いており、昭和27年1952年6月8日の項目には「巻十一浄写了」との記述残されている。これらのことから、谷崎元に送られたのは「浄書」であり、これとは別に玉上の手許に残された「書き入れ旧訳本」も存在した考えられる玉上書き入れ本元になった、玉上指導の許で若手学者大学院生国語国文科学生らが書き込んだ旧訳の本が数組存在するはずであるが、それらは現存しない。 この新訳では、その序文において以下の「3つの方針」が掲げられその上で「私は此の方針に添うために、旧訳文体踏襲することを断念し新し文体書き改める決意をした。」と語っており、その結果旧訳が「である」体であったに対してこの新訳は「ですます」体になっている文章構造をもっと原文に近づけて、能う限り単文で行くようにすること。 旧訳ではなほ教壇に於ける講義口調乃至翻訳口調抜け切れていないと云ふ非難があったのに鑑み今度は一層、実際に口でしゃべる言葉近づけること。 旧訳では敬語余りに多きに過ぎ、時とすると原文よりも多いくらいであったのは、確かに欠点云うべきであるから今度敬語の数を適当に加減すること。 この翻訳刊行順調にはいかなかった。1951年昭和26年5月30日巻1刊行したあと、翌月には巻2を刊行する計画であったが、実際に巻2が刊行されたのは1951年昭和26年9月10日であった。巻2の刊行遅れたのは、削除部分復活手間要したためである。1952年昭和27年4月東京滞在であった谷崎高血圧症のために倒れその影響右手が不自由となったため、巻3以降刊行大きく遅れた谷崎自身による筆記困難になったため口筆記検討し、そのために4・5人の人物試用したり、テープレコーダー使用なども検討されたりしたが、第7巻途中の「柏木」巻から最終巻までが伊吹和子による口述筆記となった。この口述筆記については4・5人の人間試した後に旧字旧かな慣れているという理由で、京都大学文学部国語学国文学研究室嘱託として勤務していた伊吹候補として選ばれ伊吹1953年昭和28年5月18日谷崎面談し1週間ほど試用期間として手紙代筆書類整理などを行った後、正式に採用された。この伊吹を雇うための費用全て中央公論社出しており、伊吹は後に編集者として中央公論社入社している。 この翻訳刊行当初新訳」と呼ばれていたが、1959年昭和34年)に新書版刊行した際、「もう新訳でもないだろう」という理由で、それ以後は単に「潤一郎訳」と表記されるようになった。 現在残る各種資料による、各巻ごとの進行状況は以下のようになる巻名および巻序巻ごとの作業進行状況新訳本の刊行状況01桐壺旧訳本巻1所収 昭和26年3月書き始めた昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収02帚木旧訳本巻1所収 昭和26年2月24日 玉上旧訳書き込み本の雨夜の品定め部分谷崎に送る。昭和26年3月26日夜から28日 玉上タイプ原稿に書込。 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収03空蝉旧訳本巻1所収 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収04夕顔旧訳本巻2所収 昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収05若紫旧訳本巻2所収 昭和26年2月2日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年2月13日 玉上宮地作業依頼昭和26年5月30日刊行新訳本巻1所収06末摘花旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査依頼昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収07紅葉賀旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査依頼昭和26年4月3日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収08花宴旧訳本巻3所収 昭和26年1月27日 玉上がIに調査依頼昭和26年4月8日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収09旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査依頼昭和26年2月18日 Yが調査結果一部玉上持参(この巻の内容含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年5月23日 玉上旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月8日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収10賢木旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査依頼昭和26年2月18日 Yが調査結果一部持参(この巻の内容含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年5月23日 玉上旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月11日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収11花散里旧訳本巻4所収 昭和26年1月29日 玉上がYに調査依頼昭和26年2月18日 Yが調査結果一部持参(この巻の内容含まれているかは不明)。昭和26年5月22日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年5月23日 玉上が書込済の旧訳本を宮地に渡す。昭和26年8月11日 玉上が書込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年9月10日刊行新訳本巻2所収12須磨旧訳本巻5所収 昭和26年6月10日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年8月8日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収13明石旧訳本巻5所収 昭和26年8月8日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収14澪標旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査依頼昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年10月31日 玉上タイプ原稿に書込。 昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収15蓬生旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査依頼昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収16関屋旧訳本巻6所収 昭和26年5月17日 玉上がOに調査依頼昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収17絵合旧訳本巻7所収 昭和26年8月5日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収18松風旧訳本巻7所収 昭和26年8月17日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和26年12月10日刊行新訳本巻3所収19薄雲旧訳本巻7所収 昭和26年8月26日 玉上旧訳本への書込を完了昭和26年9月3日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年2月17日 玉上タイプ原稿を「一見了」。18日 玉上宮地依頼昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収20朝顔旧訳本巻8所収 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収21少女旧訳本巻8所収 昭和26年11月4日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収22玉鬘旧訳本巻9所収 昭和26年12月20日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年1月30日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年4月4日から12日 谷崎玉鬘更正」。昭和27年4月7日 宮地タイプ原稿玉上持参昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収23初音旧訳本巻9所収 昭和27年1月30日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年4月11日 宮地タイプ原稿玉上持参昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収24胡蝶旧訳本巻9所収 昭和27年1月18日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年1月30日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年4月12日 宮地タイプ原稿玉上持参昭和27年4月17日 谷崎仕事胡蝶あたりに進んでいる」。 昭和27年5月5日刊行新訳本巻4所収25旧訳本巻10所収 昭和27年4月17日 谷崎仕事胡蝶あたりに進んでいる」。昭和27年5月6日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年6月5日 宮地玉上タイプ原稿持参昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収26常夏旧訳本巻10所収 昭和27年3月10日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年5月6日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年8月1日 玉上タイプ原稿に書込。昭和27年8月 谷崎タイプ原稿の「常夏篝火のあたり」に取り組む昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収27篝火旧訳本巻10所収 昭和27年4月14日玉上旧訳本への書込を完了昭和27年5月6日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年6月17日 谷崎篝火訳了」。昭和27年8月1日 玉上タイプ原稿に書込。昭和27年8月 谷崎タイプ原稿の「常夏篝火のあたり」に取り組む昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収28野分旧訳本巻10所収 昭和27年5月6日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年6月18日 谷崎野分の訳を始める」。昭和27年6月22日 谷崎野分訳了」。昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収29行幸旧訳本巻10所収 昭和27年5月6日 玉上書き込んだ旧訳本を谷崎送付昭和27年8月 谷崎第一稿の原稿行幸に進む」。昭和27年8月28日 谷崎行幸第一稿が成る」。昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収30藤袴旧訳本巻11所収 昭和27年5月10日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年8月31日 谷崎藤袴とりかかる」。昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収31真木柱旧訳本巻11所収 昭和27年5月11日 玉上旧訳本への書込を完了6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収32梅枝旧訳本巻11所収 昭和27年5月18日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年10月20日 谷崎梅枝訳了」。昭和27年11月6日 谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収33藤裏葉旧訳本巻11所収 昭和27年5月20日 玉上旧訳本への書込を完了昭和27年6月8日 玉上「巻11浄写了」。昭和27年11月6日 谷崎谷崎源氏第五巻原稿漸く完稿ほっと致し候」。 昭和27年11月30日刊行新訳本巻5所収34若菜上旧訳本巻12所収 昭和27年9月9日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年1月30日 谷崎若菜上三分の一中央公論社に送る。 昭和28年6月1日刊行新訳本巻6所収35若菜下旧訳本巻13所収 昭和28年3月1日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年5月上旬 谷崎若菜下訳了」。 昭和28年6月1日刊行新訳本巻6所収36柏木旧訳本巻14所収 昭和28年5月25日 谷崎伊吹和子による口述筆記開始昭和28年6月18日 口述筆記完了昭和28年8月11日12日 校正終了昭和28年10月10日谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収37横笛旧訳本巻14所収 昭和28年5月1日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年6月24日 口述筆記完了昭和28年7月7日 谷崎のもとにタイプ刷が届く。昭和28年7月8日 谷崎タイプ刷の点検始める。昭和28年7月12日 谷崎山田先生他の意見書到着を待つ。昭和28年7月14日 谷崎タイプ刷の推敲完了する昭和28年8月11日12日 校正終了昭和28年10月10日 谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収38鈴虫旧訳本巻14所収 昭和28年5月8日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年6月30日 口述筆記完了昭和28年7月7日 タイプ刷が谷崎の許に届く。昭和28年7月8日 谷崎タイプ刷の点検始める。昭和28年7月12日 谷崎山田先生他の意見書到着を待つ。昭和28年7月16日 谷崎タイプ刷の推敲完了する昭和28年8月11日12日 校正終了する昭和28年10月10日谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収39夕霧旧訳本巻15所収 昭和28年7月12日 口述筆記開始昭和28年7月21日 口述筆記4分の1終了昭和28年7月23日 夕霧のはじめ3分の1中央公論社に送る。昭和28年7月27日 口述筆記半ばさしかかる昭和28年8月2日 夕霧始め三分の二中央公論社発送昭和28年8月8日 夕霧口述筆記完了昭和28年10月10日谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収40御法旧訳本巻16所収 昭和28年9月7日 玉上タイプ原稿に書込。昭和28年8月29日 御法口述筆記完了昭和28年8月31日 御法中央公論社に送る。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収41帖 幻旧訳本巻16所収 昭和28年9月5日 口述筆記完了昭和28年10月10日 谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収 雲隠旧訳本巻16所収 昭和28年9月5日 口述筆記完了昭和28年10月10日 谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収42匂宮旧訳本巻16所収 昭和28年7月28日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年9月9日 口述筆記完了昭和28年9月13日 玉上タイプ原稿に書込。昭和28年10月10日 谷崎が央公論社長嶋中鵬二に「第七巻柏木より匂宮まで)のタイプ原稿がまだ帰ってこないがどうなっているのか」と問い合わせる昭和28年10月20日刊行新訳本巻7所収43紅梅旧訳本巻16所収 昭和28年8月25日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年10月10日 谷崎「もうすぐ紅梅がすむところ」。昭和28年10月19日 口述筆記完了昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収44竹河旧訳本巻16所収 昭和28年10月19日 口述筆記とりかかる昭和28年11月27日 口述筆記完了昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収45橋姫旧訳本巻17所収 昭和28年9月11日 玉上旧訳本への書込を完了昭和28年12月上旬 谷崎中央公論社橋姫巻を発送昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収46椎本旧訳本巻17所収 昭和28年11月1日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年1月17日 口述筆記完了昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収47総角旧訳本巻18所収 昭和29年1月24日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年1月19日 口述筆記開始昭和29年2月17日 口述筆記完了昭和29年3月6日 谷崎総角校正進める。 昭和29年3月31日刊行新訳本巻8所収48早蕨旧訳本巻18所収 昭和29年2月8日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年3月6日 口述筆記完了昭和29年3月12日 早蕨原稿中央公論社届ける。 昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収49寄生旧訳本巻19所収 昭和29年3月1日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年3月13日 口述筆記はじまる。昭和29年3月22日 原稿三分の二中央公論社送付昭和29年4月26日 口述筆記完了昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収50東屋旧訳本巻20所収 昭和29年4月11日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年5月17日 口述筆記完了昭和29年6月30日刊行新訳本巻9所収51浮舟旧訳本巻21所収 昭和29年4月29日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年6月12日 口述筆記完了昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収52蜻蛉旧訳本巻22所収 昭和29年6月14日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年7月13日 口述筆記完了昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収53手習旧訳本巻23所収 昭和29年7月28日 口述筆記完了昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収54夢浮橋旧訳本巻23所収 昭和29年6月23日 玉上旧訳本への書込を完了昭和29年7月31日 口述筆記完了昭和29年7月 全ての作業終える。 昭和29年9月30日刊行新訳本巻10所収 配本と巻立 源氏物語 巻1 中央公論社 1951年昭和26年5月30日刊行01桐壺、第02帚木、第03空蝉、第04夕顔、第05若紫 源氏物語 巻2 中央公論社 1951年昭和26年9月10日刊行06末摘花、第07紅葉賀、第08花宴、第09、第10賢木、第11花散里 源氏物語 巻3 中央公論社 1951年昭和26年12月10日刊行12須磨、第13明石、第14澪標、第15蓬生、第16関屋、第17絵合、第18松風 源氏物語 巻4 中央公論社 1952年昭和27年5月5日刊行19薄雲、第20槿、第21少女、第22玉鬘、第23初音、第24胡蝶 源氏物語 巻5 中央公論社 1952年昭和27年11月30日刊行25、第26常夏、第27篝火、第28野分、第29行幸、第30藤袴、第31真木柱、第32梅枝、第33藤裏葉 源氏物語 巻6 中央公論社 1953年昭和28年6月1日刊行34若菜上、第35若菜下 源氏物語 巻7 中央公論社 1953年昭和28年10月20日刊行36柏木、第37横笛、第38鈴虫、第39夕霧、第40御法、第41帖 幻、雲隠、第42匂宮 源氏物語 巻8 中央公論社 1954年昭和29年3月31日刊行43紅梅、第44竹河、第45橋姫、第46椎本、第47総角 源氏物語 巻9 中央公論社 1954年昭和29年6月30日刊行48早蕨、第49宿木、第50東屋 源氏物語 巻10 中央公論社 1954年昭和29年9月30日刊行51浮舟、第52蜻蛉、第53手習、第54夢浮橋 源氏物語11 中央公論社 1954年昭和29年12月5日刊行各巻細目人物略説人名名寄 源氏物語12 中央公論社 1954年昭和29年12月5日刊行隆能源氏物語絵巻、巻別系図巻名出所年立図表主要人物官位年齢一覧、源氏物語総目次

※この「第2回の翻訳 (新訳)」の解説は、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の解説の一部です。
「第2回の翻訳 (新訳)」を含む「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事については、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の概要を参照ください。

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