第2回の裁判とは? わかりやすく解説

第2回の裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:24 UTC 版)

ガリレオ・ガリレイ」の記事における「第2回の裁判」の解説

1630年ガリレオ地動説解説書天文対話』を執筆した。この書は、天動説と地動説両方をあくまで仮説上の話として、それぞれ信じ2人その間とりもつ中立者の計3人の対話という形を取って地動説のみを唱えて禁令にふれることがないよう、注意深く書いてあった。ガリレオは、ベラルミーノの判決文内容から地動説紹介しても、その説に全面的に賛同すると書なければ問題はないと考えて出版許可をとり、ローマ教皇庁若干修正加えることを条件出版許可与えた。『天文対話』は、1632年2月22日フィレンツェ印刷発行された。 翌1633年ガリレオ再度ローマ教皇庁の検邪聖省に出頭するよう命じられた。被疑は、1616年裁判有罪判決を受け、二度と地動説唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って天文対話』を発刊したというものだったガリレオが、あえてこの書をローマではなくフィレンツェ許可をとったこと、ローマ側担当者に、序文と書末尾だけしか送らずに許可をとったこと、ガリレオ事情詳しくないフィレンツェ修道士審査員指名したことなどが特に問題とされた。ただし、全文数百ページあるという理由序文末尾送付済ませることには事前にローマ側担当者同意しており、ガリレオ指名したフィレンツェ審査官正規フィレンツェ異端審問官であった。さらに、書の表紙に3頭のイルカ印刷されていることさえ、それが教皇手下がいるという意味だというねじ曲げた解釈をする者がローマにおり、問題とされた。ただしこの3頭のイルカは、フィレンツェ出版業者マークで、ほかの書籍にも印刷されていたため実際に問題にはならなかった。 裁判ガリレオは、ベラルミーノ枢機卿記したガリレオ第1回の裁判地動説放棄誓っていないし、悔い改め強要されたこともない」という証明書提出して反論した。しかし検邪聖省は、ガリレオ有罪とするという裁判記録持ち出して再反論した。この裁判記録には裁判官署名がなく、これは検邪聖省自らが定めた規則沿わないものであった。しかし、裁判では有罪裁判記録を有効とし、ガリレオ所持していた証明書無効とされた。第1回の裁判担当判事ベラルミーノは1621年死去しており、無効根拠覆すことはできなかった。この結果ガリレオ有罪となった。検邪聖省側の記録には、地動説を「教えてはいけない」と書いてあったが、ガリレオ提出した「ベラルミーノ枢機卿の証明書」には、教えことの是非についての記載はなかった。裁判ではこの命令実際にあったという前提進められた。ガリレオ自身はそう言われたかどう記憶にないが、なかったとは言い切れないと答えている。1616年ガリレオとベラルミーノ以外の人物もいたことになっており、これについてはガリレオ認めているが、その人物が誰で何人いたのかについては不明のままであった1616年当時裁判にも参加しガリレオ親友でもあったバルベリーニ枢機卿(Maffeo Vincenzo Barberini)がローマ教皇ウルバヌス8世となっていたが、教皇保護はなかった。一説によれば、『天文対話』に登場するシンプリチオ(「頭の単純な人」という意味)は教会意見持っており、シンプリチオは教皇自身だと教皇本人吹き込んだ者がおり、激怒した教皇裁判命じたというものがある。この説には物証がないが、当時から広く信じられている。さらにガリレオ自身敬虔なカトリック教徒であったにもかかわらず科学については教会権威盲目的に従うことを拒絶し哲学宗教から科学分離することを提唱したことも、当初ガリレオ支持していたウルバヌス8世が掌を返したようにガリレオ非難するようになった要因とされる。そして結果的にガリレオ裁判において、ガリレオ異端の徒として裁かせる結果繋がっている。 1633年裁判担当判事10名いたが、有罪判決文には7名の署名しかない。残りの3名のうち1名はウルバヌス8世親族であった。もう1名はこの裁判にはもとから批判的な判事だったとされている。ただし、判決文に7名の署名しかないのは、単に残り判事判決当日別の公用裁判出席できなかっただけではないかという推測もされている。なお、全員署名がなくても、有罪判決は有効であった有罪告げられガリレオは、地球が動くという説を放棄する旨が書かれ異端誓絶文を読み上げたローマ ミネルヴァ修道院1633年6月22日故ヴィンツェンツォ・ガリレイの息子でありフィレンツェ在住年齢70歳、この裁判所召喚され高貴な枢機卿及びキリスト教世界全体異端の罪を問う審問官の前にひざまずいております私、ことガリレオ・ガリレイが……検邪聖省により、世界中心に不動であるのは、地球ではなく太陽であるという思想信じ説いているのは、強い異端疑いがあると糾弾されました。私は猊下及び、この説で私に不信抱いた敬虔なキリスト教徒対し、その強い疑い晴らすことを望み、誠実かつ心より信仰をもって前述誤り異端教え放棄し嫌悪いたします……そして今後決して、口頭でも著述でも、同様の疑い抱かせることを表現しないことを誓います。 — ガリレオ・ガリレイ『新科学対話』 その後つぶやいたとされるE pur si muove”(それでも地球は動く)という言葉は有名であるが、状況から考えて発言したのは事実でないと考えられガリレオの説を信奉する弟子らが後付け加えた説が有力である。また、それでも地球は動く」はイタリア語ではなくギリシア語言った[要出典]という説もある。 「それでも地球は動いている」とつぶやいたと言う逸話出てくるのは、死後100年以上経った1757年出版されたバレッティの著作『イタリアン・ライブラリー』で、「ガリレオは、地球動いていると言ったために、6年間取り調べられ拷問かけられた。彼は自由になったとたん、空を見上げ地面見下ろし、足を踏みならして黙想にふけりながら、Eppur si m(u)ove つまり地球指して、それでも動いていると言ったと書いているが、その出典明らかでない

※この「第2回の裁判」の解説は、「ガリレオ・ガリレイ」の解説の一部です。
「第2回の裁判」を含む「ガリレオ・ガリレイ」の記事については、「ガリレオ・ガリレイ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第2回の裁判」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第2回の裁判」の関連用語

第2回の裁判のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第2回の裁判のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのガリレオ・ガリレイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS