薬事法の歴史 薬事法の歴史の概要

薬事法の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 03:01 UTC 版)

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江戸時代

徳川吉宗による享保の改革において医療に使われる薬品の品質に対する関心が高まり、江戸駿府京都大坂の5ヶ所に薬品検査所として「和薬改会所」を設置し、検査に合格した薬品以外の販売を禁じて品質の確保を図った[1]。このことが、政府による薬品取り扱い規制の始まりである。

明治維新から第二次世界大戦まで

明治時代

文明開化の影響を受けた西洋医学重視の政策により、1870年(明治3年)に「売薬取締規制」が制定され、越中富山の薬売り漢方薬に代表される従来の薬品産業を中心に、大幅な規制が実施される。続けて1873年(明治6年)に「薬剤取締之法」を施行し、現在でいうところの薬局薬剤師薬価制度、そして医薬分業の基礎がそれぞれ成立した。

明治政府は1877年(明治10年)に「毒薬劇薬取締規則」を施行、そして1880年(明治13年)にはこれを「薬品取締規則」へ改正し施行した。この規則では毒薬劇薬の概念が導入された。

1886年(明治19年)には「日本薬局方」が公布され、翌1887年(明治20年)に施行された。同方は改正を重ね、現在に至る。この歴史については同方の項目を参照のこと。

1889年(明治22年)には「薬品営業並薬品取扱規則」(「薬律」)が公布され、「薬剤師」、「薬局」、「薬種商」(現在の医薬品卸売業・小売業)および「製薬者」(現在の医薬品製造業)が定義され、特に薬剤師や薬局の活動について細かく規定が為されるようになった。

薬品営業並薬品取扱規則とその関連省令により、日本薬局方に適合しない薬品の販売などが禁じられた。更に18年後の1907年(明治40年)には同規則等が改正され、日本薬局方に適合しない薬品は製造や陳列なども禁じられるようになった。

以上により、明治時代の末期には現代のものに近い医療制度が確立され、不良医薬品の取り締まりによる薬品の品質確保がなされるに至った[2]。ただし、先述のとおり漢方薬など古くから伝わる医療については、西洋医学重視の政策によって(現代の視点からみると)不当に貶められたといわざるを得ないものも少なくない[3]

大正時代

従来、政府の政策として、有害医薬品の取り締まりを優先して「害を及ぼすものでなければ、仮に薬効がなかったとしても積極的には規制しない」(無効無害主義)という方針があったが、先に述べた一通りの政策により薬品の品質確保が一応確立されたことから、1910年(明治43年)頃に「医薬品は人体に害を及ぼさず、かつ薬効が確認できるものでなければならず、この2要件を一方でも満たさないものはすべて規制するべきである」という政策に転換されることとなった。これを有効無害主義という。

1914年(大正3年)、薬剤士・医師以外の売薬を禁止する「売薬法」が施行された。これは薬種商が取り扱う「売薬」(現在の一般用医薬品)について、有効無害主義に基づいて品質確保、所管庁による検査、広告の規制などを行うようになった。これにより、たとえば「万病に効く××××丹」のような薬効を標榜することが禁じられ、すべての売薬について薬効の科学的裏付けを求められるようになった。この法律により薬種商は大きな打撃を受けたが、同時に薬種商および売薬の近代化を促すこととなった[3]

戦時体制と1943年薬事法

1937年(昭和12年)に日中戦争が始まったことを受け、翌1938年(昭和13年)には国家総動員法が制定され、戦時体制が確立されていった。生活必需品である医薬品についても物資統制の例外ではなく、その翌年である1939年(昭和14年)には価格統制が政令により実施され、つづけて1941年(昭和16年)には戦時統制を目的として日本医薬品生産統制株式会社および日本医薬品配給統制株式会社が設立され、製薬者はすべて前者に、薬種商はすべて後者に所属するものとされた。具体的には、厚生省(当時)の計画に沿って下記のとおり医薬品の流通を統制するものであった[2]

生産統制会社→(原材料)→製薬者→(医薬品)→生産統制会社→配給統制会社→薬種商→薬剤師→国民

両統制会社は同年9月1日より業務を開始することとなる。同年12月8日真珠湾攻撃をきっかけとして戦争が激化していく中、このように医薬品にかかる戦時統制体制が確立されていく。

1943年(昭和18年)には「薬事衛生ノ適正ヲ期シ国民体力ノ向上ヲ図ル」ことを目的として薬事法(昭和18年3月12日法律第48号。旧々薬事法とも)が制定された。従来の医薬品に関する諸法令が同法にまとめられたほか、医薬品の製造業に許可制を導入するなど、不良医薬品の取り締まりおよび一層の品質適正化が図られた[2]

もっともこれによって統制以前には40万種あったとされる日本の薬品が6000種程度に統合されて、江戸時代以前からの処方なども含めて多数が廃絶し、残されたものも成分の変更などによって全く異質の薬品への変更を余儀なくされたものも存在したと言われている。

戦後昭和時代

終戦および1948年薬事法

1945年(昭和20年)9月2日第二次世界大戦が終わり、1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法(公布は1946年11月3日)が制定されると、かつての国家総動員法をはじめとして、政府の裁量を広く認めた委任立法が新憲法と矛盾する事態が多数発生し、これらの見直しが急務とされた。

薬事法もその例外ではなく、命令への委任事項を中心に見直しがはかられた。また、戦後の物資不足により粗悪な医薬品が流通している事態の打開を図る必要があった。ことに日本国憲法第25条第2項において、国民の生存権にかかる国の社会的使命が明示されたことで、戦後の復興にふさわしい医事・薬事制度を法制化する必要があった。

薬事法制について、1948年(昭和23年)、新規の法律として薬事法(昭和23年7月29日法律第197号。旧薬事法とも)が制定された[2]。1943年の薬事法における抜け穴などが見直されたほか、政府による許可事項は大幅に削減され、医薬品の製造業、流通業等は政府または都道府県知事への登録制になった。事前に公表された一定の基準を満たす者が登録を申請した場合、無条件で登録されることとなり、政府による恣意的な運用ができないような制度となった。これをもって医薬品業は戦時中の統制経済から脱却することとなった。

また、翌日7月30日には、医療法医師法保健婦助産婦看護婦法が成立し、病院診療所にかかわる基本的な法制度及び医療関係職のうち医師保健婦助産婦看護婦についての法律が制定された。この当時、薬剤師については薬事法において規定されている(1960年に薬剤師法制定により分化された)。

1960年薬事法

国の政策として「国民皆保険」を基本とする健康保険制度を発足させるため、1960年(昭和35年)、薬事法(昭和35年法律第145号)が施行された。

この改正により、医薬品販売業が下記のとおり細分化された。

一般販売業
薬剤師が処方箋をもとに販売するか、医師が自らの処方で、それぞれ患者に販売することが許可されている。
卸売一般販売業
一般販売業の一形態。上記の一般販売業者に対してのみ販売が許可されている。
薬種商販売業
1943年薬事法以前の「薬種商」とは意味が異なる。ドラッグストアの項目も参照のこと。
配置販売業
いわゆる置き薬を設置して、使用数に応じて後払いで代金を支払う業態。同項を参照。
特例販売業
過疎などの事情により上記の形態による医薬品の供給が困難であるなどの理由で、特例として都道府県知事政令指定都市市長から医薬品販売業の許可を得て販売する業態。

上記のとおり、それまで医薬品販売業の一形態とされて明確な定義がされていなかった、いわゆる置き薬の販売形態が、この改正により配置販売業として明確な定義がなされた。

なお、この薬事法全面改正を受けて、健康保険制度が翌1961年(昭和36年)に発足した。


薬事法違憲判決

1948年薬事法および1960年全面改正当時の薬事法において、「厚生省(当時)令上の設置基準を満たしている」「関係者が薬事法違反などで罰せられたことがない」などの基準を満たしていれば都道府県知事から薬局を新設する許可が下りていた。1963年の薬事法小改正で薬局の距離制限規定が設けられ、薬局の新規開設を申請する場所から一定範囲以内に既存の薬局がある場合、都道府県知事は不許可の処分が行えるようになった。

しかるに、この規定が争点となる行政訴訟(薬局距離制限事件)が発生し、最高裁判所まで争われた結果、1975年(昭和50年)4月30日に違憲判決が言い渡された[4]。この判決では、薬局開設許可の際に近隣の既存薬局からの距離制限を求める規定が、憲法第22条が保障する営業の自由に反すると判示された。

この違憲判決を受けて、距離制限規定は同年7月に削除された。

なお、この判決は日本国憲法下において尊属殺重罰規定違憲判決に続いて2番目となる法令違憲判決である。


  1. ^ 出典:宮下三郎『長崎貿易と大阪』(清文堂、1997年、ISBN 9784792404314
  2. ^ a b c d 昭和53年8月3日 東京地裁判決 昭和46年(ワ)第6400号ほか 損害賠償請求事件
  3. ^ a b 田邊勝「受け継がれる売薬理念」富山県民生涯学習カレッジ、2002年2月23日
  4. ^ 昭和50年4月30日 最高裁大法廷判決 昭和43年(行ツ)第120号 行政処分取消請求事件
  5. ^ 詳細は、医薬部外品の項目を参照。
  6. ^ 比較的危険度の低いものの審査を民間に開放することは、国の総合規制改革における民間開放の方針に沿うものである。また、独立行政法人医薬品医療機器総合機構では、より危険度の高い医療機器の承認審査に資源を集中的に投入できるようにすることも目的である。
  7. ^ 動物用医薬品、動物用医療機器は、厚生労働大臣ではなく農林水産大臣の所管であり、認証制度はないなど、人用とは異なる面がある。医療機器のクラス分類は動物用のものが告示されている。
  8. ^ 厚生労働省. “薬事法の一部を改正する法律の概要 (PDF)”. 2010年7月18日閲覧。
  9. ^ 厚生労働省 (2011年5月13日). “薬事法の一部を改正する法律等の施行等について (pdf)”. 2011年8月6日閲覧。


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