中国の絵画 五代・宋の絵画

中国の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 00:47 UTC 版)

五代・宋の絵画

董源『龍宿郊民図』
関同『秋山晩翠図』(台北故宮博物院)
巨然『層巌叢樹図』
李成『晴巒蕭寺図』
范寛『谿山行旅図』(台北故宮博物院)
文同『墨竹図』(台北故宮博物院)
米友仁『雲山図』
王詵『煙江畳嶂図巻』(上海博物館)
北宋(伝徐熙)『雪竹図』(上海博物館)
伝黄筌『珍禽図』
黄居寀『山鷓棘雀図』
崔白『双喜図』
馬遠『山径春行図』
李迪『楓鷹雉雞図』(北京故宮博物院)

時代の概観

宋時代は中国絵画史のピークであるとともに転換期でもあった。唐時代までの絵画の主流は人物画であり、着色画であった。こうした伝統的絵画は、以後の時代にも引き続き制作されるが、宋時代には山水画花鳥画の様式が確立され、なかんずく山水画が中国絵画を代表するジャンルとなった[134]。五代から北宋にかけては、山水における北方山水画と江南山水画、花鳥画における黄氏体と徐氏体(諸説あるが、前者は「富貴」、後者は「野逸」とされる)などの様式が確立し、各分野の絵画は筆法、構図などの面で大いに進歩し、後世に影響を与える多くの大家を輩出した。山水画においては唐時代まで主流であった青緑山水画も引き続き制作されたが、この時代には士大夫の絵画としての水墨による山水画が主流となった[135]

唐末・五代の山水画家として、江南では董源(とうげん)、巨然(きょねん)、華北・中原では荊浩(けいこう)、関同(かんどう)の名が伝わるが、現存する彼らの作品はほとんどが模本か伝承作品である。やや時代が下って北宋の初期から中期にかけての山水画家としては李成(りせい)、范寛(はんかん)、郭煕(かくき)らが著名である[136]。北方と南方の風土の差は画家たちの画風にも影響を与えた。荊浩らが描く北方の山水は、切り立った稜線とごつごつした岩肌が目立ち、これに対して、董源らによる江南の山水は、湿潤な大気に霞む穏やかな風景を描き出している。この時代には文人士大夫、すなわち儒教的教養のある支配階級が、絵画の享受および制作の主たる担い手となった[137]。北宋末には、書家としても知られる米芾(べいふつ)とその子の米友仁(べいゆうじん)の父子がある。米芾は書家としては宋の四大家に数えられ、画家としては米法山水の創始者として知られる。米法山水とは、堅い輪郭線を用いず、楕円形の墨点を重ねて形態や濃淡を表すものである[138]。宋時代を代表する文学者・書家である蘇軾(そしょく)も文人の余技として古木竹石などを描いている[139]。五代の後蜀南唐には宮廷画院が設置されたが、宋朝も画院(翰林図画院)の制度を設け、画院の画家には待詔、祗候などの職位を与えて画業を奨励し、多くの宮廷画家が活躍した。北宋末の徽宗皇帝は、為政者としては無能であったが、文化の振興、画院の改革に尽し、自らも筆を執って書画をよくした[140]。北宋時代の画家としては他に白描(墨の輪郭線のみによる描法)の人物を得意とした李公麟(りこうりん)が著名である[141]

南宋時代は前後の時代と異なり、文人画家よりも宮廷画院の画家が活躍した時代で、彼らによる、装飾性の豊かな花鳥画や、余白の美を生かした山水画が盛行した。こうした画院特有の作風を院体という。山水では李成・郭煕らの主山を中心に据える構図に替わり、主たる景物を画面の片側に寄せて描く様式が盛行した。この様式は馬遠(ばえん)、夏珪(かけい)によって大成された。院体の花鳥画は北宋の黄筌らの黄氏体(諸説あるが、輪郭線と彩色主体の描法とされる)の影響を受け、李迪(りてき)らの名手を生んだ。南宋の画院系の著名画家としては、他に山水画の李唐(りとう)、減筆体の人物画で知られる梁楷(りょうかい)などがいる[142]

荊浩と関同

荊浩関同は唐末から五代にかけての山水画家である。唐時代までの中国絵画は彩色画が中心であり、山水画も青緑山水が主流であって、水墨の山水画が盛んになるのは宋時代以降のことである。荊浩と関同は水墨山水を描いた初期の画家であり、後世への影響が大きかったが、彼らの作品の原本は現存しない。荊浩は河南沁水の人(本籍については異説もある)で、字を浩然といった。彼は『筆法記』という画論を書いており、次のような言葉を残している。「呉道子の画山水には筆あれども墨なく、項容には墨あれども筆なし。吾は二子の長ずる所を采(と)りて一家の体を成すべし」。すなわち、唐代の名画家・呉道子には線描の美はあるが水墨の美はなく、項容(中唐の画家)には水墨の美はあっても線の美はない。自分は両者の良いところを採って、自分の画風を確立する」ということである。関同は、『宣和画譜』『図画見聞誌』に「長安の人」とあるが、出身地は不明とする史料もある。荊浩に学んだということ以外、詳しい経歴はわからない。荊浩については『匡廬図』(きょうろず、台北故宮博物院)、関同については『秋山晩翠図』、『山谿待渡図』(ともに台北故宮博物院)などの伝承作品がある。いずれも水墨山水で、中国北方の険しい岩山を描いたものである[143][144][145]

董源と巨然

董源は、10世紀頃の鍾陵(江西南昌)の人で、字を叔達といった。五代の南唐に仕え、後宛副使という職位にあったという。董源は後述の巨然とともに「董巨」と併称され、江南山水画の祖とされている。現存する董源の伝承作品としては、画巻では『夏景山口待渡図巻』(遼寧省博物館)、『瀟湘図巻』(北京故宮博物院)、『夏山図巻』(上海博物館)、掛幅では『寒林重汀図』(日本・黒川古文化研究所)、『龍宿郊民図』(台北故宮博物院)がある。うち、『夏景山口待渡図巻』と『瀟湘図巻』は、もとは同じ画巻の一部であったものが分かれたものとみられる。以上の伝承作品は、いずれも真蹟ではなく後人の模本とみなされている。董源と並び称される巨然(10世紀頃)の出身は、鍾陵(江西南昌)とも江寧(南京)ともいう。彼は開封の開元寺の画僧で、伝承作品は『秋山問道図』(台北故宮博物院)のほかいくつかあるが、真蹟とみなされるものはない。董源は生前にはさほど高名ではなかったが、北宋末(12世紀)頃から急に著名になり、文人山水画の祖として扱われるようになった。北宋末の文人画家・米芾(べいふつ)は、著書『画史』において、董源の画風を「平淡天真」であるとして高く評価した。明末の文人画家・理論家として影響力の大きかった董其昌も南宗画(文人系の山水画)の祖として董源を高く評価している。伝承作品にみる董源と巨然の画風は、江南の霞のかかったような湿潤な風景を描いたもので、披麻皴(ひましゅん)という、麻の繊維をほぐしたような筆致で山の稜線などを描くのが特色である。沈括(北宋)は著書『夢渓筆談』で「董源・巨然の絵は、近くで見ると何が描いてあるのかわからないが、遠くから見ると物の形がわかる」と評している[146][147][148][149]

李成・范寛・郭煕

李成(10世紀)は長安の人で、字は咸熙(かんき)。唐の宗室の出で、五代末・宋初の混乱を避けて山東営丘に移った。李成は、後出の郭煕とともに「李郭」と併称される。「董巨」(董源と巨然)が江南山水画の祖とされるのに対し、「李郭」は北方山水画の祖とされている。李成の事績については、画史の類には多く記録されるが、真蹟は現存せず[150]、伝承作品も多くはない。李成の画風について「墨を惜しむこと金のごとし」と評された。北宋末の米芾は「李成の真蹟は2本しか見たことがないが、偽物は300本もある」と言っている。現存する伝承作品には『晴巒蕭寺図』、『寒林図』(台北故宮博物院)、『読碑窠石図』(大阪市立美術館)、『喬松山水図』(日本、澄懐堂美術館)などがある[151]

范寛(10世紀後半 - 11世紀前半)は、『谿山行旅図』(台北故宮博物院)の作者として知られる。陝西華原の人で、字は中立という。一説に本名は中立で、性格が寛大だったため、范寛と呼ばれたという[152]。職業画家であったとみられ、詳しい経歴は不明である。当初李成画に学ぶが、それに飽き足らず、自然を師として研鑚を積み、自らの画風を築いたという。『谿山行旅図』は、北宋山水画を代表する著名作で、近景の岩と道、中景の台地を画面下方に小さく表し、圧倒的な存在感をもつ遠景の主山が画面の大部分を占めている。山を下方から見上げて、その高さを強調する手法、すなわち「高遠山水」の典型的作品である。本図については、原本に忠実な写しとする説もある[153]。画面の右下、荷物を運ぶ驢馬の列の後方の樹葉にまぎれるように小さく「范寛」の署名があるが、この署名は書風が稚拙で、本図を范寛の真蹟とする決め手にはならない[154][155]

郭煕(1023頃 - 1085年頃)は北宋後期の宮廷画家で、河陽温県(河南省)の人。字は淳夫。神宗の熙寧年間(1068 - 1077年)に図画院芸学となり、後に翰林待詔直長という地位についた。理論家でもあり、画論『林泉高致』(『林泉高致集』)の著作がある。高遠(仰角視)・平遠(平面視)・深遠(俯瞰視)の三遠法は郭煕がこの書で述べているものである。郭煕の『早春図』は、北宋山水画の真蹟として現存する数少ない作品の一つである[156]。この作品は、光や大気の存在が的確に表現され、1つの画面に前述の高遠・平遠・深遠の3つの視点が共存するなど、北宋山水画の1つの完成形を示すものである[157][158][159]

北宋後期の文人画家

文同(1018 - 1079年)北宋の文人画家。梓州永泰(四川)の人。湖州(浙江呉興)の太守という地位にあった。もっぱら墨竹画を描いた[160]

蘇軾(1036 - 1101年)は北宋後期の政治家、書家、詩人。四川眉山の人。字は子瞻(しせん)、東坡居士と号した。絵画は余技で、古木竹石などを描いた[161]

米芾(1051 - 1107年)は、北宋後期の文人。山西太原の人。字は元章で、海嶽外史、襄陽漫士、鹿門居士などと号した。徽宗に仕え、書画学博士であった。画家、書家、収集家、鑑識家として知られる。画家としては、子の米友仁とともに「米法山水」(楕円形の点描が特色)の創始者とされている。ただし、米芾の書作品は真筆が残るが、絵画作品については確実な遺品はない[162][163]

米友仁(1086 - 1165年)は米芾の子で、字は元暉(げんき)、懶拙老人(らんせつろうじん)と号した。太原の出身だが襄陽、のち潤州(江蘇鎮江)に移り住んだ。父の米芾と異なり、専門画家に近い存在であった。作品は『雲山図巻』など数点がある[164][165]

その他の北宋画家(山水画系)

  • 許道寧(きょどうねい、生没年不明) - 北宋の山水画家。河間(河北)の人。長安で薬屋の客寄せのために絵を描いていた。伝承作品に『秋山蕭寺図巻』(日本、藤井斉成会有粼館)、『秋江漁艇図巻』(ネルソン・アトキンス美術館)があり、作風は李成風である[166]
  • 燕文貴(えんぶんき、生没年不明) - 北宋の宮廷画院に属した山水画家。伝承作品に『江山楼観図巻』(大阪市立美術館)がある[167]
  • 趙令穣(ちょうれいじょう、生没年不明) - 北宋の山水画家で、宋太祖5世の孫。字を大年という。「小景画」をよくした。小景画の語義は諸説あるが、近景・中景・遠景を大観的に描いた山水画に対し、近景を中心にした狭小な空間を描いた山水画を指すとされる[168]。伝承作品に『秋塘図』(大和文華館)がある[169]
  • 王詵(おうしん / おうせん、生没年不明) - 李成派の山水を描いた、北宋の余技画家。伝承作品に『煙江畳嶂図巻』(上海博物館)など数点がある[170]
  • 郭忠恕(かくちゅうじょ、生没年不明) - 北宋における溌墨山水画の伝承者とされ、また界画を得意とした。伝承作品として『雪霽江行図』(ネルソン・アトキンス美術館および台北故宮博物院)がある[171]
  • 江参(こうしん、生没年不明) - 北宋末から南宋初の山水画家。董源・巨然の江南山水画風を継ぐ数少ない画家の一人。『林巒積翠図巻』(ネルソン・アトキンス美術館)、『千里江山図巻』の伝承作品がある[172]

花鳥画の「黄氏体」と「徐氏体」

宋時代の花鳥画の画風には「黄氏体」と「徐氏体」があるといわれているが、これら両者の画風の具体的差異は必ずしも明らかではない。黄氏体は五代の画家・黄筌(こうせん)とその一族の画風、徐氏体は同じく五代の画家・徐熙(じょき)とその一族の画風をさす。北宋・郭若虚の『図画見聞誌』によれば、当時の花鳥画について「黄家は富貴」「徐熙は野逸」と評価されていた。黄筌(903年頃 - 965年頃)は四川成都の人で、前蜀の宮廷画家、徐熙(生没年不明)は鍾陵(江西省)の人で、生涯仕官しなかった。通説では黄氏体は輪郭線と彩色主体、徐氏体は没骨体といわれるが、黄筌の作品は『珍禽図』(北京故宮博物院)が残るのみ、徐熙の作品は残っておらず、両者の実際の作風の差は不明である。文献に照らしても、両派の作風にさほどの差異があったとは考えがたい。黄筌の子の黄居寀(こうきょさい)の作と伝えられる『山鷓棘雀図』(さんしゃきょくじゃくず、台北故宮博物院)は、北宋時代の作風を伝える。[173][174]

徽宗とその他の花鳥画家

趙佶(ちょうきつ、1082 - 1135年)は北宋8代皇帝徽宗である。彼は為政者としては無能であったと評されるが、文化の振興には力を入れた。各地から書画骨董を集め、『宣和画譜』などの宮廷所蔵品目録を作った。また宮廷画院の充実を図ったことでも知られる。彼は自らも書画をよくし、書は痩金体(そうきんたい)という独特の細く鋭い筆線による書体を使用した。絵については『搗練図』(唐・張萱の原画の模写、ボストン美術館)、『五色鸚鵡図巻』、『桃鳩図』(日本個人蔵)などの伝承作品があるが、鈴木敬は徽宗の画には代筆画が多く、真作はおそらく現存しないであろうと述べている[175]

  • 趙昌(ちょうしょう、生没年不明) - 北宋初期の花鳥画家。四川広漢(剣南)の人。没骨の折枝画を得意とした[176][177]
  • 崔白(さいはく、生没年不明) - 北宋画院の画家。濠梁(安徽)の人。熙寧期(1064 - 1077年)に画院の芸学の地位にあった。花鳥画をよくしたが、人物、山水も描いた。代表作に『双喜図』(台北故宮博物院)がある[178][179]
  • 呉元瑜(ごげんゆ、生没年不明) - 徽宗の絵画の師であった画家。ただし、呉元瑜本人については、伝承作品もほとんどなく、画風も定かでない[180]

李公麟とその他の五代・北宋絵画

李公麟(活動期11世紀末 - 12世紀初) - 安徽舒城の人。字は伯時。晩年、龍眠山に隠居したことから龍眠山人と号した。王安石(政治家、詩人)や蘇軾(政治家、詩人、書家)と交友があった。白描の人物画を得意とした。父の李虚一は多数の古画を収蔵しており、公麟はこれらを模写した。伝承作品として『孝経図巻』(プリンストン大学美術館)、『五馬図巻』(東京国立博物館)などがある[181]

周文矩(しゅうぶんく、生没年不明) - 五代・南唐の宮廷画家。金陵句容の人。人物画、特に仕女図をよくした。伝承作品に『瑠璃堂人物図』(メトロポリタン美術館)、『重屏会棋図』(北京故宮博物院)がある[182]

韓熙載夜宴図(かんきさいやえんず)は、五代・南唐の画家・顧閎中(ここうちゅう)の作と伝えられる、彩色の風俗画巻。計5つの場面からなる。韓熙載は南唐の政治家で、100人もの妾妓を抱え、酒と女と音楽に溺れ、夜な夜な宴会を開いていたという。南唐の後主・李煜(りいく)は韓の行動を怪しみ、乱行の真意を探るため、ひそかに画家の顧閎中を遣わし、顧が記憶した宴会の模様を絵画化したのが本図であるという。画中画の山水画の様式や、画中に描かれている磁器の様式などから、現存本の制作年代は南宋以降とみられる[183][184]

顧閎中『韓熙載夜宴図』

清明上河図(せいめいじょうかず)は、北宋の画家・張沢端(ちょうたくたん)の作品で、当時の人々の生活や街の様子を伝える風俗画として著名である。北宋の都・汴梁(開封)の清明節の賑わいを絵画化したもの。長さ5メートルを超える画巻に士大夫、僧、船頭、人足、占い師などあらゆる階層の人々約700人が生き生きと描かれている。台北故宮博物院本のほか、後人による模本が多数ある。作者の張沢端は山東東武の人で、宣和(1119 - 1125年)の画院に属した[185][186]

張沢端『清明上河図』

馬遠、夏珪と南宋の山水画家

馬遠(ばえん、生没年不明)は南宋画院の山水画家。籍は山西にあったが、銭塘(杭州)に住んだ。字は遥父、号は欽山。光宗・寧宗の時、画院待詔の地位にあった。馬遠の家系には画家が多く、曾祖父、祖父、父、兄、子、伯父も画家であった。斧劈皴(ふへきしゅん)を多用した山水を描いた。後述の夏珪と共に「馬夏」と並称された。画面を対角線で区切った半分のスペースに主たるモチーフを集中させ、残りの画面を余白として、観者の想像にゆだねる構図(辺角構図)は「残山剰水」「馬の一角」と称された。ただし、これらの評語は必ずしも褒め言葉ではなく、大自然のごく一部しか描かれていないことを評するものともいう。馬遠の作品は、余白の多いものばかりでなく、『西園雅集図巻』(ネルソン・アトキンス美術館)のように細部まで描き込まれたものもある。その他の代表作に『十二水図』(台北故宮博物院)、『華燈侍宴図』(台北故宮博物院)など[187][188]

夏珪(かけい、生没年不明)は、南宋画院の山水画家。銭塘(杭州)の人。字は禹玉。寧宗期(1194 - 1224年)の画院で待詔の地位にあった。水墨山水をもっぱら描いた。代表作に『渓山清遠図』(台北故宮博物院)、『江山佳勝図』、『長江万里図』(模本)などがある[189]

  • 李唐(りとう、1050年頃 - 1130年頃)北宋末から南宋の画院画家。河陽三城(河南孟県)の人。徽宗の時に画院待詔の地位にあった。焦墨を用いた山水画に特色がある。代表作に『万壑松風図』(ばんがくしょうふうず)、『江山小景図』(ともに台北故宮博物院)などがある[190]
  • 馬麟(ばりん、生没年不明)馬遠の子。寧宗の嘉泰年間(1201 - 1204年)に画院祗候の地位にあった。山水のほか、父と同様の辺角構図の花鳥画をよくした[191][192]

その他の南宋画家

  • 劉松年(りゅうしょうねん、生没年不明)銭塘(杭州)の人。紹熙年間(1190 - 1194年)の画院待詔。代表作に『四景山水図』、『羅漢図』(台北故宮博物院)などがある[193]
  • 李迪(りてき、生没年不明)孝宗・寧宗期の画院画家。河陽(河南孟県)の人。花鳥画をよくした[194]
  • 梁楷(りょうかい、生没年不明) - 東平の人。南宋になってからは銭塘に住む。寧宗の嘉泰年間(1201 - 1202年)の画院待詔であった。酒を愛し、性格は豪放で、自ら「梁風子」と称した(「風子」は「狂人」の意)。減筆体(少ない筆のタッチで描く)の人物画に特色を発揮した。代表作に『李白吟行図』(東京国立博物館)などがある。[195]
  • 蘇漢臣(そかんしん、生没年不明) - 開封の人。北宋末から南宋初の宮廷画家。人物、特に子供の絵を得意とした。台北故宮博物院の『秋庭戯嬰図』はヤジロベエ遊びに熱中する姉弟を描いたもので、蘇漢臣の作と伝えられる。[196]
  • 揚無咎(ようむきゅう、1097 - 1169年) - 江西清江の人。字は補之(ほし)。梅花の絵を専門にした。[197]
  • 趙孟堅(ちょうもうけん、1199 - 1264年) - 宋朝宗室の出身で、厳州太守という地位にあった。松竹梅蘭を主に描いた。[198]
  • 李嵩(りすう、生没年不明) - 銭塘(杭州)の人。光宗、寧宗、理宗の画院で活動した。人物を主に描くが、山水、花鳥画もある。[199]
  • 牧谿(もっけい、生没年不明) - 南宋末の禅僧。理宗・度宗の時代に活動した。臨安(杭州)長慶寺の僧で、俗姓は李(または薛)、法諱は法常で、牧谿は号。禅僧の余技として山水、蔬果などを描いた。日本において特に評価が高い。代表作に『写生蔬果図鑑』など。[200]

瀟湘臥遊図(しょうしょうがゆうず) - 乾道5・6年(1169・1170年)頃、舒城李生作の水墨山水画巻。東京国立博物館蔵。董源、巨然、米芾父子の系統を引く江南山水画の代表作として名高い。李公麟の作と伝承されていたが、実際の作者は「舒城李生」で、舒城(地名)の李という姓の画家であることしかわからない。[201]


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  9. ^ 唐時代以前には、絵画は身分の低い職人・工人の仕事とみなされており、唐の画家閻立本は、子どもたちには「絵画のような奴僕の仕事を習わぬように」と戒めている(宇佐美、2010)pp.83 - 84。張彦遠は「絵画は君子のたしなみである」と明言しているが、決して絵画自体の質を軽視していたわけではない。彼は『歴代名画記』中の顧愷之伝において、「問題は画家が高尚な人物かどうかではなくて、絵の質そのものではないか」という意味のことを述べてもいる。(宇佐美、2010、pp.56 - 59, 116)
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  356. ^ 『中国書画探訪 関西の収蔵家とその名品』、pp.187 - 188
  357. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』99号、p.243
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  359. ^ 『中国書画探訪 関西の収蔵家とその名品』、p.186
  360. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』99号、pp.245 - 246
  361. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』99号、p.244
  362. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』99号、p.245
  363. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』99号、pp.243 - 244
  364. ^ 『中国書画探訪 関西の収蔵家とその名品』、p.201





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