始原とは? わかりやすく解説

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し‐げん【始原】

読み方:しげん

物事始め起こり原始

「人を知り人に知らるるの—は」〈福沢学問のすゝめ


始原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 21:58 UTC 版)

イスラム教」の記事における「始原」の解説

西暦610年頃に、ムハンマドメッカ(「マッカ」とも言う)郊外天使ジブリールより唯一神アッラーフ)の啓示受けた主張しアラビア半島イスラーム教始めた当時メッカ人口一万人ほどの街で、そのうちムハンマド教え信じた者は男女合わせて200人ほどに過ぎず、他の人々彼の宗教冷笑したが、妻のハデージャや親友アブー・バクル、甥のアリー遠縁ウスマーン達は彼を支えた。 しかし、メッカでの信者達は主にムハンマド親族下層民に限られており、619年に妻と、イスラム教徒にはならなかったが強力な擁護者であった叔父他界すると、彼はメッカの中で後ろ盾失い批判迫害へと変わった。そのため、彼は622年成年男子七十名、他に女子供数十名をヤスリブ(のちのマディーナ(メディナ))に先に移住させ、自身夜陰紛れメッカ脱出し拠点移した。これをヒジュラ聖遷と言い以後、彼らはメッカ対立したマディーナでは、ムハンマドウンマ呼ばれる共同体作り、これは従来アラビア部族共同体とは性格異にする宗教的繋がりであったが、同時に政治商業的性格をも持っていた。しかし、全て順調に進んだわけではなく、やがて現地ユダヤ人対立し、それは後には戦闘を含む規模にまで激化し、そのためムハンマド教義一部変更し当初ユダヤ教習慣倣ってイスラム教徒エルサレム向けて礼拝していたところを対立たけなわの頃からメッカカーバ神殿へと拝む方角変えたりした。現在でも、世界中イスラム教徒メッカへの方角拝礼するのは、この時に始まる。また、ハデージャの死後、やもめとなっていたムハンマドは、マディーナアーイシャという後妻娶るが、彼女はまだ9歳少女であった以後、彼は8人の妻を娶るアイーシャ以外の妻はハディージャ含めて全て未亡人であったまた、ある時、ムハンマドメッカ千頭ものラクダ連れた大規模な隊商発見し上述70人とメディナ得た200人ほどの支援者と共にこれを襲おうとしたが、メッカ側も危機察し、950名を派遣してバドル激突した(うちメッカ300人は途中で引き返す)。624年9月のことであり、ムハンマド側が勝利すると、これを記念して以後イスラム教徒はこの月になると、毎年断食をするようになった。(後にヒジュラ暦制定されると、この月はラマダーンとなった。今ではこの断食のことを、よくラマダーンと呼ぶ。) この後メッカ近隣ユダヤ人との攻防勝敗繰り返しながら、ムハンマド周辺アラブ人たちを次第支配下収め630年ついにメッカ占領しカーバ神殿にあったあらゆる偶像破壊して、そこを聖地とした。なお、メッカ占領する頃になるとムハンマド達は一万人の軍を組織できるようになっていたが、このムハンマドを巡る抗争弱り切ったメッカ背後から襲おうと、南ヒジャーズ地方人々一万人が武装してメッカ近郊待機していた。メッカ手に入れると、直後ムハンマドはこれらを襲撃大破したが、アラビア半島単位の軍が激突することは、数百年来なかった大事件であったこのためムハンマド声望瞬く間アラビア中に広まり以後、全アラビア指導者たちがムハンマドの下に使節送ってくるようになった。こうして、イスラム教アラビア中に伝播した。(ちょうど、東ローマ軍の侵攻で、近隣サーサーン朝ペルシア衰退していた時期でもあり、それもこうした動き拍車をかけた。)

※この「始原」の解説は、「イスラム教」の解説の一部です。
「始原」を含む「イスラム教」の記事については、「イスラム教」の概要を参照ください。

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