始動:ジョン&ヨーコとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 始動:ジョン&ヨーコの意味・解説 

始動:ジョン&ヨーコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:23 UTC 版)

プラスティック・オノ・バンド」の記事における「始動:ジョン&ヨーコ」の解説

1969年1月「ゲット・バック・セッション」終えたビートルズの各メンバー個別活動行っていた。レノン3月20日ジブラルタルオノ結婚すると、3月26日から31日にかけて新婚旅行先のオランダ・アムステルダムで「平和のためのベッド・イン」を行うなど、二人動向大々的報道するマスコミ利用して、「平和活動パフォーマンス」を行っていった。 5月12日レノンオノEMIスタジオで、3月ジョージ・ハリソンビリー・プレストン行ったジャム・セッション音源ミキシング作業参加し、ハンドクラップ音をオーバーダビングした。この曲には「Jam Peace」というタイトル付けられアーティスト名は「プラスティック・オノ・バンド」とクレジットされた。これがバンド名の最初の公式使用であった5月26日からレノンオノカナダモントリオール2回目の「ベッド・イン」を行い6月1日には様々な著名人ホテル招いて平和を我等に」のレコーディング行った。さらに2人で「ヨーコの心」のレコーディング行った。この2曲は「プラスティック・オノ・バンド名義初のシングルとしてイギリスでは7月4日リリースされシングル・チャート2位獲得アメリカで7日リリースされビルボード14位まで上昇した8月アルバムアビイ・ロード』のレコーディング終了すると、レノンオノエリック・クラプトンとともに9月13日カナダトロント開催された「ロックン・ロール・リバイバル・コンサート」に「プラスティック・オノ・バンド」として初めてのライヴ出演をした。9月末から10月はじめにかけて、コンサート新曲として演奏したコールド・ターキー」と「京子ちゃん心配しないで」をリンゴ・スタークラプトンらと録音し10月24日にセカンド・シングルとしてリリースした。「コールド・ターキー」はBBCなどで放送禁止曲に指定されてしまったが、イギリスでは14位、アメリカで30位を記録した11月26日レノン1967年セッション録音されていた「ユー・ノウ・マイ・ネーム」と『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』のレコーディング・セッション録音されアウトテイクとなっていた「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」を「プラスティック・オノ・バンド」のサード・シングルとするために編集作業行った12月5日リリースすることがアップルから公式に告知されたが、直前になって中止となったレノン12月15日ロンドン行われるユニセフ主催の『ピース・フォー・クリスマス』コンサート出演するため、9月トロントでのメンバー招集をかけた。すると、デラニー&ボニーツアー同行していたクラプトンハリスンツアー・メンバー引き連れて参加した。この模様は後にアルバムサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収められメンバーは「プラスティック・オノ・スーパー・グループ」と名付けられた。また同時にニューヨークタイムズスクエアなど世界11都市一斉にWAR IS OVER! IF YOU WANT IT Happy Christmas From John & Yoko 」とクリスマス・メッセージが書かれ看板設置するとともにポスター貼り出したり新聞広告出したりなどの平和キャンペーン行ったレノン看板費用尋ねられたとき、「私は知らないが、それは誰か人生よりも安い」と答えた1970年1月27日、「インスタント・カーマ」を作曲からレコーディングまで丸1日仕上げオノの「誰が風を見たとともにプラスティック・オノ・バンド」のサード・シングルとして僅か10日後の2月6日リリースしたフィル・スペクタープロデュースしたこの曲はイギリスで5位、アメリカで3位獲得する大ヒットとなった9月26日10月9日にかけて、レノンスペクター迎えてアルバムジョンの魂』のレコーディングを行うと、引き続き10月10日11月6日にかけてヨーコアルバムヨーコの心』のレコーディング行った12月11日に「ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド」「ヨーコ・オノプラスティック・オノ・バンド」の名義2枚同時にリリースした1971年1月21日イギリス労働運動家との対談触発受けたレノンは、より強く直接的なメッセージソング作ろう考え、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を作曲すると、翌日すぐにレコーディング行った3月12日イギリスオノの「オープン・ユア・ボックス」とともにジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド」「ヨーコ・オノプラスティック・オノ・バンド」の名義リリースした5月22日わいせつ雑誌の出版にあたるとして前年訴追されイギリスアンダーグラウンド雑誌オズ』の支援依頼されていたレノンは「ゴッド・セイヴ・オズ」と「ドゥ・ジ・オズ」の2曲をレコーディングした。しかし、契約上の理由そのままリリースすることは出来なかったので、6月16日マル・エヴァンズ連れてきたビル・エリオットと、オノボーカルオーバーダビングした。その際アメリカではオズ』の認知度低かったため、レノン題名歌詞理解されない考え直し、「ゴッド・セイヴ・オズ」から「ゴッド・セイヴ・アス」に変更した7月リリースする際には「(ビル・エリオット・アンド・)エラスティック・オズ・バンド」名義行われた一方6月6日にはニューヨーク・フィルモア・イーストでのフランク・ザッパ&マザーズ・インベンションのライヴレノンオノゲスト出演し、この模様も後にアルバムサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収められた。 6月23日から7月5日の間、レノンアルバムイマジン』のレコーディングを行うと、ほぼ同時期にオノアルバムフライ』のレコーディング行った

※この「始動:ジョン&ヨーコ」の解説は、「プラスティック・オノ・バンド」の解説の一部です。
「始動:ジョン&ヨーコ」を含む「プラスティック・オノ・バンド」の記事については、「プラスティック・オノ・バンド」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「始動:ジョン&ヨーコ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「始動:ジョン&ヨーコ」の関連用語

始動:ジョン&ヨーコのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



始動:ジョン&ヨーコのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのプラスティック・オノ・バンド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS