Y染色体グループから推定される日本人の成立史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:01 UTC 版)
「日本人」の記事における「Y染色体グループから推定される日本人の成立史」の解説
崎谷満によれば、最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、4万-3万年前にやってきたD1a2a系統である。D1a2aは日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県約50%(4% - 56%)、本州約36% (31% - 39%)で、東アジアではほとんど存在しない。遠縁のD1a1が多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D1a系統の下位系統は5万年以上前に分岐し、日本列島に至り誕生したのがD1a2aであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD1a1であると考えられる。 渡来時期については諸説あるが、後期旧石器時代及び新石器時代のヨーロッパ(クロマニョン人)、そして少数の現代ヨーロッパ人、ベルベル人、アルメニア人、ネパール人でわずかに見られるC1a2と姉妹系統のC1a1系統もかなり古い時代に日本列島に入ってきたと考えられる。崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている。他にも華南から海流に乗って日本列島に到達した南方経由説、樺太から北海道に流入後、日本列島各地へ流入した説など様々な意見がある。渡来年代についてはD1a2aより早い4万年以上前という説もあり、C1a1が日本列島最古層という可能性もある。現代日本人男性の約20人に1人(5%)がこのC1a1系統に属していると見られ、朝鮮半島南方海上に浮かぶ済州島の男性1人から検出されたほか、日本人以外で観察された例がない。 C2系統は現在、カザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等のアルタイ系諸族、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民(例えば北部アサバスカ諸語話者等)に多い。崎谷はC2系統は細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えている。ただし、C2系統も渡来時期については諸説あり、朝鮮民族などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO1b2系統やO2系統と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族(チュルク系民族、モンゴル系民族、ツングース系民族)で高頻度なC2系統はC-M407という若いサブクレードに属すものを除けばほぼ全てC-L1373系統であるが、日本人や朝鮮民族などで観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-L1373はわずかである。また日本列島固有のC-M93もあり、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。現代日本人に於けるC2-M217の頻度については、各研究によって差があり、少ないものでは2%、3%ほど、多いものでは6%、7%ほどとなっている。 O1a系統(O-M119)は台湾の原住民の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満はオーストロネシア語族との関連があると想定している。台湾に近いにもかかわらず、日本列島の男性ではO1aは全体の約1%(0%~3%)に過ぎない。中国復旦大学・黄穎、李輝、高蒙河らの研究によれば、中国春秋時代・百越(粤)のY染色体は、O1a系統である。 O1b1系統の下位系統の一つであるO1b1a1a(O-M95)は現代の東南アジアの男性に多いけれども、元々は新石器時代の中国から拡散していったと見られている。O1a-M119と同様、現代日本人の全体の約1%(1%~4%)がこのO1b1系統に属していると見られる。 O1b2系統(O-M176)について、崎谷満は従来の研究結果とは異なる主張を提示し、長江文明の担い手だと考えている。今までの研究結果とは逆にO1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、中国東北部、朝鮮半島から日本列島へ渡ったと崎谷満は主張している。O1b2系統は中国江南から水稲栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は弥生人と関連し、則ちO1b2系統の到来と共に縄文時代から弥生時代へ移行しはじめたと考えられる。O1b2系統は日本列島の他、朝鮮半島や中国東北部の一部でも比較的多く見られる。しかし、池橋宏はO1b2が長江文明の地域である中国南部に殆ど発見されていないことと、日本の一部の地域に地層から稲のプラントオパールがみつかってはいるが、これが必ずしも長江から移動を意味するものではなく、稲の品種や技術が人々の間で伝来したと考えられると主張した。 O2系統(O-M122)について崎谷は、その一部は縄文時代~弥生時代にミレット農耕をもたらしたが、大部分は弥生時代よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に中国大陸及び朝鮮半島から到来した渡来人による流入が多かったであろうとしている。O2は現代の朝鮮民族に最多の系統である。 N系統(N-M231)はウラル系民族に高頻度で、日本には0-8%見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で7.7%観察され、遼河文明の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている。
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