本項目は、純粋数学 と応用数学 の歴史 に関する年表 である。
年表
先史時代
紀元前10世紀以前
紀元前70,000年頃 — 南アフリカ人が、黄土岩に刻み跡をつけることにより幾何学 的パターンで装飾する[1] 。
紀元前35,000年~紀元前20,000年頃 — アフリカとフランスで、時間を計量するための初期の先史 的な試みが行われる[2] [3] [4] 。
紀元前20,000年頃 — ナイル川 流域のイシャンゴの骨 より、素数 と掛け算 を示唆する刻み跡が残される。
紀元前3400年頃 — メソポタミア文明 において、シュメール人 が命数法 と度量衡 を人類で初めて発明する。
紀元前3100年頃 — エジプト文明 において、初期の十進法 が新たな記号を用いて不確かながら行われるようになる[5] 。
紀元前2800年頃 — インド亜大陸 のインダス文明 において、インダス文明の度量衡に基づく10進法による比率が用いられたほか、その最小単位を長さ1.704mm、重さ28gとする。
紀元前2700年 — エジプト文明において正確な測量 の始まりとなる作業が行われる。
紀元前2400年 — エジプト文明において天文暦 が作成された。この暦は数学的な規則性の高さから中世 においても使用されていた。
紀元前2000年頃 — メソポタミア文明において、バビロニア人 が60進法 を用いた数記法を使用、円周率 Πの値を3.125とし人類初の概算値を求める。
紀元前2000年頃 — スコットランドの石球、多面体 の対称性をすべて含んだ様々な対称性を持つ石球が作成される。
紀元前1800年 — モスクワ数学パピルス に切頭体 の体積を求める問題とその解法が記述される。
紀元前1800年頃 — ベルリンパピルス6619(英語版 ) に2次方程式とその解法が記述される[5] 。
紀元前1650年 — アーメス が紀元前1850年頃から失われた数学文書を筆写してリンド数学パピルス を作り、円周率πの近似値を3.16と定めている。また円積問題 にも初めて取り組んでおり、余接 を用いている他1次連立方程式を解くための知識も示している。
紀元前1046年~紀元前256年 — 最古の中国の数学書である周髀算経 が書かれる。
古代
紀元前10~1世紀
紀元前1000年頃 — 分数 が古代エジプト人 により利用される。しかし、単位分数のみ使用され(分子が1の分数)、補間 数表が他の分数の値を近似するために用いられた[6] 。
紀元前10~5世紀頃 — インドの哲学者ヤージュニャヴァルキヤ が自身の著書「Shatapatha Brahmana」の中で太陽と月の運行について記述し、太陽と月の運行が一致する現象が95年周期であると記述する。
紀元前8世紀頃 — ヒンドゥー教 の4つのヴェーダ の一つであるヤジュル・ヴェーダ に無限 に関する初期の概念が現れる。この書籍では「もし無限から一部を取り除いたり加えたとしても、変化後もまた無限である」と述べられている。
紀元前800年 — バウダーヤナ(英語版 ) がバウダーヤナ・シュルバ・スートラ (ヴェーダ語 の幾何学文書)を記す。この書籍には2次方程式 が記述されており、2の平方根 を計算し、10進数5桁まで正しい値を求めている。
紀元前6世紀前半 — タレス が自身の名のついた様々な定理を発見する。
紀元前600年頃 — ヴェーダ のシュルバ・スートラ (サンスクリット における祭壇の作り方を述べた書物)でピタゴラスの三角形 を使用する。この書籍には複数の幾何学的な証明が含まれている他、円周率 Πを3.16と概算している。
紀元前5~1世紀頃 — 通常の3次の魔方陣 を扱った河図洛書 が中国で作成される。
紀元前530年 — ピタゴラス が幾何学 の命題と竪琴の琴線の振動を研究する。ピタゴラスとその弟子達は2の平方根 から無理数 も発見した。
紀元前500年頃 — インド の文法学者パーニニ がアシュターディヤーイー(英語版 ) を書きあげる。この書籍では演算の計算順序、変換 、漸化式 の使用法が述べられている。この書籍はサンスクリット の文法をシステム化することを目的としていた。
紀元前5世紀 — ヒポクラテス(英語版 ) が円積問題 に取り組む中で三日月形の図形を利用する。
紀元前5世紀 — ヴェーダ・サンスクリット幾何学の書籍「アーパスタンバ・シュルバ・スートラ 」の著者であるアーパスタンバ(英語版 ) が円積問題に取り組んで2の平方根 を計算、10進数5桁まで正しい値を求める。
紀元前400年頃 — インドのジャイナ教 の数学者が「Surya Prajinapti」を著す。この書籍ではあらゆる数を可算、非可算、無限 の3つに分類している。また、無限を5つの異なる種類に分類している。1~2方向の無限、面積の無限、あらゆる場所での無限、永久無限である。
紀元前4世紀 — インド の数学書で0 の概念を意味するサンスクリット語 の単語「Shunya」が使用される。
紀元前370年 — エウドクソス が面積 を決定する方法として取り尽くし法 について述べる。
紀元前350年 — アリストテレス がオルガノン において論理 的な理由について議論する。
紀元前330年 — 中国幾何学の初期の書籍である『墨子』が墨子 の弟子により編纂される。
紀元前300年 — インドのジャイナ教 数学者が「バーガバティ・スートラ」を著す。この書籍には組合せ に関する初期の情報が含まれている。
紀元前300年 — エウクレイデス (ユークリッド)が原論 の中で幾何学を公理系 として研究、素数 が無限に存在することを証明しユークリッドの互除法 を発見する。ユークリッドは「反射光」における反射の様子を述べ、算術の基本定理 (素因数分解 の一意性)を証明した。
紀元前300年頃 — ブラーフミー数字 (現代一般的に使用されている10進法 の基礎となる記数法)がインドで普及する。
紀元前300年 — メソポタミア文明 において、バビロニア人 が初期の計算機であるアバカス (中東地域のそろばん )を発明する。
紀元前300年頃 — インドの数学者ピンガラ(英語版 ) が「Chhandah-shastra」を著し、人類で初めて0 を数記法に取り入れる(当時は0を点で表していた)。また、二進法 の記述を行い、フィボナッチ数 やパスカルの三角形 も人類で初めて使用する。
紀元前202年~紀元前186年 — 中国の漢 の時代に算術書籍である算数書(英語版 ) が編纂される。
紀元前260年 — アルキメデス が円周率 Πの値が3 + 1/7(約3.1429)と3 + 10/71(約3.1408)の間にあることを証明する。円の半径の2乗に円周率Πを乗じた値が円の面積に等しいこと、放物線と直線で囲まれる面積がその交点2点と直線と平行な接線が接触する1点を頂点とする三角形の面積の4/3倍になることを証明した。アルキメデスは3の平方根に対しても非常に正確な値を与えている。
紀元前250年頃 — 後期オルメカ 文明が新世界において、プトレマイオス に先立つこと数世紀前に0の概念(shell glyph)の使用を始めていた。0 を参照のこと。
紀元前240年 — エラトステネス がエラトステネスの篩 を発見する。
紀元前225年 — ペルガのアポロニウス が「円錐曲線 」を著し、楕円 、放物線 、双曲線 に名称をつける。
紀元前206年~紀元後8年 — 算木 が中国で発明される。
紀元前150年 — インドのジャイナ教 の数学者が「シュタナンガ・スートラ」を著す。この書籍では数論の定理、数学の解法、幾何学、分数 、一次方程式、二次方程式 、三次方程式 の解法と、置換 の組み合わせについて扱っていた。
紀元前150年 — ガウスの消去法 が中国の書籍九章算術 に世界で初めて現れる。
紀元前150年 — ホーナー法 が中国の書籍九章算術 に世界で初めて現れる。
紀元前150年 — 負の数 が中国の書籍九章算術 に世界で初めて現れる。
紀元前140年 — ヒッパルコス が三角法 の基礎を作る。
紀元前50年 — ブラーフミー数字 の後継記数法としてのインド数字 (10進法 で初めて位取り記数法 を使用した記数法)がインドで発展を始める。
紀元前1世紀 — インドの天文学者ラガダが「Vedanga Jyotisha(英語版 ) 」を著す。この書籍は天文学 について取り扱っており、太陽と月の運行に関するルールについて記述している他、天文学の記述に際し幾何学と三角法を使用している。
1~10世紀
1世紀 — ヘロン が負の数の平方根に関する最初の言及を行う。
3世紀頃 — アレクサンドリアのプトレマイオス がアルマゲスト を著す。
250年 — ディオファントス が未知数に対して与える記号を使用し、「算術 」を著す。この書籍は代数学に関する初期の論文の一つである。
263年 — 劉徽 が円周率 πに対して割円術(中国語版 ) (取り尽くし法 を用いた円周率計算法)を使用する。
300年 — インド数学において、10進法の計量数としての0 の初期の導入が行われる。
300年~500年 — 中国の剰余定理 が孫子により発見される。
300年~500年 — そろばんの計算法の記述が孫子により行われる。
340年頃 — アレクサンドリアのパップス が自身のパップスの定理 やパップス=ギュルダンの定理 を自著に記す。
400年頃 — バクシャーリー写本 がジャイナ教 の数学者により著される。この書籍では様々な段階の無限を含む無限に関する理論を記述しており、族 や2を底とする対数 を扱い、平方根 を10進法11桁まで求める。
450年 — 祖沖之 が円周率 πの値を小数第7位まで求める。
500年 — アリヤバータ が「アリヤバータ=シッダーンタ」を著す。この書籍ではまず三角関数 とその概算値を求める計算方法を導入している。また、正弦関数 や余弦関数 の概念を定義し、正弦関数の値や余弦関数の概算値(0度から90度まで3.75度ごとの値)を与えている。
6世紀 — アリヤバータが日食 や月食 に関する天文学的な定数に対する正確な計算を与え、円周率 πを小数第4位まで求める。 また、現代とほぼ同様の方法を取ることで一次方程式 に対する数値解を求める方法を得ている。
550年 — ヒンドゥー教 の数学者が位取り記数法 において0に数的表現を与える。
7世紀 — バースカラ1世(英語版 ) が正弦関数 に対し有理数による概算値を与える。
7世紀 — ブラーマグプタ が2次不定方程式の解法を発明する。これは天文学の問題をとくために代数学を使用した初の例となった。彼はまた、様々な惑星の運行や場所の計算、太陽や月の出没 、朔 、満ち欠けの計算に対する方法を考案した。
628年 — ブラーマグプタがブラーマ・スプタ・シッダーンタ を著す。この書籍では0の概念が明確に説明されており、現代の位取り記数法 を用いたインドの数記法が完全に整備された。また、この書籍では正の数と負の数を扱う規則や平方根の値を求める方法、一次方程式 や二次方程式 の解を求める方法、級数 の和に関する規則、ブラーマグプタの二平方恒等式 、ブラーマグプタの定理 に関しても取り上げている。
8世紀 — ヴィラセナ(英語版 ) がフィボナッチ数列 に関する規則を与える。切頭体 の体積 問題に無限回の分割を用いる方法を与え、底2の対数 を扱いその仕組みを知る。
8世紀 — シュリダーラ(英語版 ) が球の体積の公式と二次方程式の解の公式を与える。
773年 — カンカーがインドの算術天文学 やインドの数記法を説明するため、ブラーマグプタのブラーマ・スプタ・シッダーンタをバグダード に持ち込む。
773年 — ファザーリー がハーリフ・アッバーシード・アル・マンスール王の命によりブラーマ・スプタ・シッダーンタをアラビア語に翻訳する。
9世紀 — ゴヴィンダシュヴァーミ(英語版 ) がニュートン・ガウスの補間公式 を発見し、アリヤバータの正弦関数 表の分数形式を与える。
810年 — 知恵の館 がバグダード に建設され、ギリシア語 やサンスクリット語 の数学書のアラビア語への翻訳が開始される。
820年 — ペルシア人 の数学者フワーリズミー (代数学の父)が約分と消約の計算の書(英語版 ) (ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ、Al-Jabr)を著す。この書籍は後に「代数」(アル・ジャブル、代数学 の英語名Algebraの語源となった)として各言語に翻訳、版を重ねる。この書籍では代数学において一次方程式や二次方程式に対し解を求めるための体系化した方法論を述べている。算術 に関する彼の書籍の翻訳により、西洋では12世紀にアラビア数字 による10進法 の記数法が紹介されることとなる。アルゴリズム という単語は彼の名前(ラテン語 ではAlgorizmiと表記された)から採られたものである。
820年 — マーハーニー(英語版 ) が立方体倍積問題 のような幾何学 的問題を代数学の問題へと変換する方法を考案する。
850年頃 — キンディー が暗号理論 に関する自著において暗号解読 や頻度分析 について考察する。
895年 — サービト・イブン・クッラ : 散逸している彼の書籍の内唯一残っている断片には、3次方程式 の解法と性質が記されている。彼はピタゴラスの定理 も一般化し、友愛数 (それぞれが互いの約数 の和であるような2つの数)の組を発見することにより、サービト数(英語版 ) を発見する。
900年頃 — エジプトのアブー・カーミル・シュジャー・イブン・アサラム(英語版 ) が
x
n
⋅
x
m
=
x
m
+
n
{\displaystyle x^{n}\cdot x^{m}=x^{m+n}}
数学ポータル
註
この記事はNiel Brandt (1994) の年表に基づいており、ウィキペディアにおける使用の許可を得ています。(英語版のノート を参照のこと。)
1966年、IBMは1000年から1950年までの数学に関する「Men of Modern Mathematics」と呼ばれる有名な年表のポスターを出版した。これは数学者(主に西洋)や彼らの数学的功績に関する個人的な物語に基づいている。このポスターはカリフォルニア大学ロサンゼルス校 教授Raymond Redhefferにより提供された数学者に関する内容とともに、Charles Eamesによりデザインされた。
脚注
^ Art Prehistory , Sean Henahan, January 10, 2002.
^ How Menstruation Created Mathematics , Tacoma Community College, archive link
^ OLDEST Mathematical Object is in Swaziland
^ an old Mathematical Object
^ a b Egyptian Mathematical Papyri - Mathematicians of the African Diaspora
^ Carl B. Boyer, A History of Mathematics, 2nd Ed.
^ Victor J. Katz (1998). History of Mathematics: An Introduction , p. 255–259. Addison-Wesley. ISBN 0-321-01618-1 .
^ F. Woepcke (1853). Extrait du Fakhri, traité d'Algèbre par Abou Bekr Mohammed Ben Alhacan Alkarkhi . Paris.
^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F. , “Abu l'Hasan Ali ibn Ahmad Al-Nasawi” , MacTutor History of Mathematics archive , University of St Andrews , https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Al-Nasawi/ .
^ a b c Arabic mathematics , MacTutor History of Mathematics archive , University of St Andrews, Scotland
^ a b Various AP Lists and Statistics
^ D. J. Korteweg and G. deVries, "On the Change of Form of Long Waves Advancing in a Rectangular Canal, and on a New Type of Long Stationary Waves," Phil. Mag. , 39 (1895) 4. doi :10.1080/14786449508620739
^ Paul Benacerraf and Hilary Putnam, Cambridge U.P., Philosophy of Mathematics: Selected Readings, ISBN 0-521-29648-X
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^ Irving S. Reed and Gustave Solomon, "Polynomial Codes over Certain Finite Fields," Journal of the Society for Industrial and Applied Mathematics (SIAM) 8 (1960) 300. doi :10.1137/0108018
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^ “素数の新定理発見 極端な偏りなく分布 米英数学者「夢のような成果」” . スポーツニッポン . (2014年2月26日). http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/02/26/kiji/K20140226007668140.html 2014年12月6日 閲覧。
^ “素数の間隔で新定理発見 極端な偏りなく分布、米英数学者”. 47NEWS . (2014年2月26日)
^ “素数の間隔で新定理発見 極端な偏りなく分布、米英数学者”. 琉球新報 . (2014年2月26日)
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^ “60年解けなかった数学の難題 世界中のPCつなぎ解決 ”. 朝日新聞デジタル . 朝日新聞社 (2019年10月24日). 2020年4月3日 閲覧。
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^ a b “長年の謎だった9番目の「デデキント数」が32年の探求の末、数学者により発見される ”. カラパイア . 株式会社ミンキュア (2023年6月30日). 2023年7月7日 閲覧。
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外部リンク