M1928/M1928A1
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「トンプソン・サブマシンガン」の記事における「M1928/M1928A1」の解説
1928年、アメリカ海軍ではトミーガンの採用を計画するにあたり、M1921に何点かの改良を加えるように求めた。これに従い、発射速度を600発/分以下まで抑え、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターを標準的に取り付けたモデルが設計された。このモデルが海軍M1928(U.S. Navy, Model of 1928)として採用された。オート・オードナンス社では、合計して500丁(うち340丁は以前販売したM1921)のトミーガンを海軍および海兵隊に納入した。M1928はかつてコルト社が製造したM1921を改修する形で製造された。「M1921」の刻印の末尾の「1」は上から「8」と打ち直されており、発射速度が落とされ、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターが取り付けられている点を除けば、市販されていた製品と同等のものだった。オート・オードナンス社のカタログには、ネイビー・モデル(Navy Model)の商品名で掲載されていた。一方、陸軍では依然としてトミーガンに強い関心を示していなかった。1920年代後半のアメリカ陸軍において、トミーガンは騎兵科の偵察車両や戦車の乗員向けに限定調達されているに過ぎなかった。当時、陸軍では騎兵・歩兵共用銃としての新型自動小銃(後のM1ガーランド)の開発が進められており、それを待たずにトミーガンを採用する必要性を認めていなかったのである。第二次世界大戦の勃発後、M1928はフランス軍・イギリス軍・スウェーデン軍に採用された。フランス軍は3,750挺のM1928と3,000万発の弾薬を発注した。イギリス軍ではコマンド部隊などがこれを使用した。M1928の納入価格は1939年頃で$209(現在の価格で$3,100程度・希少品となった現在では$20,000前後で取り引きされている)だったとされ、オート・オードナンス社の経営状態は好転した。 M1ガーランドの採用後、陸軍騎兵科ではM1ガーランドよりも軽量かつ高火力で車両乗員向け装備に相応しいとしてトミーガンの再評価が成された。1938年9月、陸軍ではトミーガンの調達区分を限定調達から標準調達へ切り替え、M1928A1(Submachine Gun, Caliber .45, Model of 1928A1)の制式名称を与えた。M1928A1向けには20発/50発弾倉のみが支給され、オプションとして市販されていた100発弾倉は重くかさばるとして採用が見送られた。1939年6月、陸軍はオート・オードナンス社とトミーガン950丁の調達契約を結んだ。この頃にはM1921としてコルト社が製造したトミーガンが枯渇し、サベージ・アームズ(英語版)社による新規ライセンス生産が始まった。また、アメリカ政府への供給に加えて諸外国での需要も増加しつつあった為、オート・オードナンス社はいくつかの自社工場を設置している。陸軍および海兵隊は新型自動小銃M1カービンが短機関銃を置き換えることを想定して調達数を調整していたが、真珠湾攻撃を受け第二次世界大戦への参戦が決定するとM1928A1の需要は一層と膨らみ、調達数は増加していった。実戦の中でその有用性が証明されたこともあり、M1カービンが短機関銃を完全に更新することはなかった。M1928A1はアメリカ軍が採用したほか、レンドリース法の元で連合各国へ広く供給された。総計562,511挺が生産され、量産効果により1942年春には$70(現在の価格で$880程度)まで調達コストは下がった。1940年、サベージ・アームズにて軽量化と生産効率の向上を目的とするアルミニウム製レシーバーの実験が行われた。この際に試作されたアルミ・トミーガンでは木製部品もイーストマン・ケミカルが製造したテナイト(Tenite, セルロース系熱可塑性樹脂)製に改められていた。しかし、アルミ製レシーバの強度不足を解決することができず、最終的にプロジェクトは放棄された。その後、M1の採用を受け、1942年4月25日からM1928A1は「準制式装備」(Limited Standard)と位置づけられた。調達自体は同年秋に終了し、正式な退役手続きは1944年3月16日に行われた。
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