M1941フィールドジャケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:15 UTC 版)
「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事における「M1941フィールドジャケット」の解説
陸軍は1941年5月6日にM1941フィールドジャケットを野戦服として承認した。正式名称は「JACKET FIELD, OD」である。 主要国の軍隊が通常勤務も野戦も同じ軍服を使用していた時代にあって初めて戦闘のためだけの制服として採用されたのがこのジャケットである。ジャケットの仕様は第3軍団司令官パーソンズ(英語版)将軍により決定され、平常服の代わりとなる民間のウインドブレーカーに似た動きやすいジャケットにすることがコンセプトだった。 明るいオリーブドラブ色(以下OD色)のコットン・ポプリン(英語版)で製造された丈の短いショートジャケットであり、裏地はフランネルだった。前打ち合わせをジッパーとボタンで二重に止めることができ、首元まで閉じることができるが、通常は一番上のボタンは外して開襟着用した。上襟の裏には短いタブとボタンがあり、襟を立てた状態で留めることができた。左右の前身頃には開口部が斜めの切り込みポケットが2つ付いているが、ポケットにふたはなかった。 この明るいOD色のショートジャケットを普通のOD色のウール・シャツとズボンの上に着、茶皮のサービスシューズを履いてレギンス(ゲートル)を巻いたスタイルがヨーロッパ戦域のアメリカ歩兵の一般的スタイルだった。 しかしM1941フィールドジャケットは色々問題が多かった。まず防寒性が不十分であり、雨から身を守ることができなかった。明るい色だったので汚れやすいうえに戦場で目立ちやすかった。襟と袖口は擦れやすく、ジッパーはすぐに壊れた。こうした欠点の克服のため、M1943フィールドジャケットが誕生して1944年末頃から徐々に切り替えられていくが、その支給が不十分だったため、結局M1941は終戦まで広く使用され続けることになり、GIの象徴であり続けた。 コットンポプリン製は耐久性が低いため、現存するM1941は襟や袖にダメージを受けている物が多く、程度のいい現物の入手が困難な一品になっている。 M1941フィールドジャケット M1941フィールドジャケット M1941フィールドジャケット(中央)(フランスサント=メール=エグリーズ空挺部隊博物館(フランス語版)の展示物)
※この「M1941フィールドジャケット」の解説は、「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の解説の一部です。
「M1941フィールドジャケット」を含む「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事については、「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の概要を参照ください。
- M1941フィールドジャケットのページへのリンク