49歳で自死
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2009年4月21日、静岡県駿東郡小山町の冨士霊園にある父親の墓前で、硫化水素が充満した黒いポリ袋を顔に被せた状態で自殺しているのが見つかった。49歳没。死亡時刻は前日の20日午後5時頃。その傍らに要介護の母親が車椅子に座った状態で残されており、一時意識を失っていたが命に別状はなかった。 前日20日の日中、父親の墓参りに行くという由貴子と母親を、夜勤のシフトのため同行できなかった妹が玄関先で見送っているが、その後は姉の携帯に何度電話をかけても連絡が取れず、翌日の午前中に仕事を終え、帰宅してもまだ戻ってきていないことを不審に思った妹が霊園側に問い合わせたことによって発見されたものである。霊園側からの折り返しの連絡を受け、搬送先へ直行した妹と元・マネージャーによって同日、本人と母親であることがそれぞれ確認された。 遺書に書かれていた「東京では葬儀をあげないで下さい」という本人の遺志通り、4月24日に同県御殿場市で密葬が営まれ、相本久美子・角川博・櫻井淳子・黒部幸英・八波一起らが参列した。戒名は介護を続けた母への愛情に満ちた人生を意味する「慈孝由和清大姉(じこうゆうわせいだいし)」。25日には同所で葬儀・告別式が営まれ、親族や「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演した佐藤B作らも参列、当時弔問に訪れることができなかった萩本欽一からも供花が捧げられた。 生前の明るいイメージとは結びつかないショッキングな清水の亡くなり方は芸能界だけでなく世間にも衝撃を与え、自殺発見から一夜明けた翌22日のテレビ、スポーツ紙上でも大きく取り上げられた。あまりにも突然の訃報に「スター誕生!」でのオーディションの時からを知り、デビュー後も自身の冠番組「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」、「欽ちゃんの週刊欽曜日」、「悠々くらぶ」(1991年から放送のNHK情報バラエティー番組)で3度共演するなど、関係の深かった萩本欽一は絶句し、当初はノーコメントだった。その6日後の4月27日に放送された、TBS系「みのもんたの朝ズバッ!」で萩本は、清水が亡くなる前年10月に20数年ぶりの手紙をもらっていたことを明かした。萩本は「最後に『これからも頑張るからね』と書いてあったけど、何かの叫びだったのかなぁ」と何もしてあげられなかったことを悔やみ、「ユッコちゃんは“いい子”にくたびれたのかな。だけど、最後はちょっと悪い子だったな。もうちょっと頑張ってほしかった」と涙ぐみながらコメントしていた。 清水と同期デビューで「フレッシュ三人娘」と呼ばれた親友の榊原郁恵は動揺が大きいためマスコミの対応が出来ず、高田みづえ(現・荒磯親方夫人)も連絡が取れない状態だった。さらに、夫婦共に清水と交流があった歌手・タレントの湯原昌幸と荒木由美子夫妻もショックを隠せず「辛い事があっても笑い飛ばす人だった。(母の介護に)どんな想いだったんだろうかと思うと切ない」と語っていた。 萩本欽一の番組で共演しデュエット曲もリリースした小西博之は、自殺の報道直後、清水に対し「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコを許さない。天国なんかに絶対に行かせない。冥福も祈らない。僕が引き戻してやるから」と涙ながら怒りに声を震わせ、清水の通夜・葬儀を欠席していた。それから6年後、2015年5月1日にTBS系「爆報! THE フライデー」に出演した小西は、同番組内で清水の7回忌で初めて墓参りしたことを明かす。小西は「僕はユッコちゃんに助けられたけど、僕はユッコちゃんを助けられなかった。それが悔しくて‥」と、清水を気遣うことが出来なかった自分自身を懺悔しつつ、「話聞いてあげればよかった。ごめんな」と清水に謝罪しながら号泣していた。 同年11月17日、実妹・良子がブックマン社から「介護うつ ―お姉ちゃん、なんで死んじゃったの―」(ISBN 978-4893087287)を上梓。「周囲には一切弱音を吐かなかった」と実姉・由貴子の姿を振り返りながらも、介護による孤立・自殺の防止を訴え続けている。なお、一命を取り留めた清水の実母は翌2010年9月17日に都内の病院で79歳で亡くなった。
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