49ers~レイブンズ~レイダース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:02 UTC 版)
「ロッド・ウッドソン」の記事における「49ers~レイブンズ~レイダース」の解説
1997年からはひざの手術の影響もあり、スピードが衰えためセイフティに転向、フリーエージェントでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに移籍した。さらに翌1998年にはボルチモア・レイブンズに移籍する。1999年にはスポーティングニューズ誌が選出した「偉大なアメリカンフットボール選手100人」の87位に選ばれた。2000年には第35回スーパーボウルを制覇した一員となった。 2002年にはオークランド・レイダースに移籍、37歳となっていたが、デンバー・ブロンコス戦では98ヤードのインターセプトリターンTDをあげるなど、タンパベイ・バッカニアーズのブライアン・ケリーとともにNFLトップの8インターセプトをあげてチームに貢献し、第37回スーパーボウルに出場した。 2003年は9月に左ひざを手術し10試合の出場にとどまる。翌2004年、チームの身体検査にパスできず、放出され引退した。彼に代わってセイフティのポジションに着いたのは、奇しくもパデュー大学での彼のインターセプト記録を更新した選手であった。 ウッドソンが17年間の現役中に記録した1,483インターセプトリターンヤード、12インターセプトリターンTDはNFL歴代1位の記録である。他にも71インターセプト(NFL歴代3位)、32ファンブルリカバー、137ファンブルリターンヤード、2,362パントリターンヤード、プロボウル選出回数はディフェンシブバックとしてはNFL歴代1位である。 コーナーバック、セイフティ、キックリターナーの異なる3ポジションでプロボウルに選出されたのも彼が最初であった。 その後、NFLネットワークの「NFLトータルアクセス」に出演する一方、フォートウェインでBMWのオートバイのディラーを経営している。また、1994年以降、少年達へフットボールを教える活動もしている。 2011年、ヒュー・ジャクソンオークランド・レイダースヘッドコーチの下でディフェンシブバックコーチを務めた。 2015年2月10日、ジャック・デルリオレイダースヘッドコーチの下ディフェンシブバックコーチを務めることが発表された。
※この「49ers~レイブンズ~レイダース」の解説は、「ロッド・ウッドソン」の解説の一部です。
「49ers~レイブンズ~レイダース」を含む「ロッド・ウッドソン」の記事については、「ロッド・ウッドソン」の概要を参照ください。
- 49ers~レイブンズ~レイダースのページへのリンク