2019年6月~7月:複数の大規模デモ、デモ本格化
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「2019年-2020年香港民主化デモ」の記事における「2019年6月~7月:複数の大規模デモ、デモ本格化」の解説
詳細は「2019年6月9日香港逃亡犯条例改正案反対デモ」、「2019年6月12日香港逃亡犯条例改正案反対デモ」、および「2019年6月16日香港逃亡犯条例改正案反対デモ」を参照 5月、民間人権陣線は6月9日に3度目のデモを予定していることを発表、立法会議員の毛孟静(中国語版)(香港本土(中国語版)所属、民主派の一員)は参加を呼びかけ、30万人以上の参加を目標とした。 6月9日、3度目のデモは予定通りに実施され、主催者発表で103万人、警察発表で24万人が参加し、いずれも2003年7月以降では最多となった。6月9日のデモでは午後3時よりヴィクトリアパークから立法会総合ビルまで移動する予定だったが、予想以上の人数により午後2時20分に前倒しで開始、午後10時まで続いた。当日は主催者の呼び掛けで、大勢の参加者が「光明」を象徴する白服を着用していた。なお、103万は香港の人口の1割以上に相当するが、香港政府は同日午後11時に6月12日の第二読会の予定を変更せず、改正案にはいかなる変更も加えないと発表した。報道においてはこの日(6月9日)以降デモが本格化したと表現する場合もある。 海外でも6月8日にオーストラリアのパースでデモが実施され、翌9日以降からは9か国19都市(トロント、バンクーバー、カルガリー、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ワシントンD.C.、ボストン、シカゴ、シドニー、メルボルン、ブリスベン、キャンベラ、ロンドン、ベルリン、パリ、東京、台北、ソウル)でデモが実施された。 6月12日朝8時頃、添馬公園で集会していた市民が立法会の第二読会を阻止すべく、夏慤道(中国語版)と竜和道(中国語版)を占拠しようとし、警察はビーンバッグ弾で鎮圧を試み、20人以上が負傷する結果となり、そのうち多くが頭を撃たれていた。香港電台の運転手1人に催涙弾が命中して頭を負傷、一時は心臓が停止するほどの重傷だったが後に快方に向かった。警察は少なくとも11人を逮捕、さらに警察官を病院に派遣して、治療を受けているデモ参加者を逮捕しようとするに至った。この行動を受け、医界の数組織が合同声明を発し、警察官が医者や看護師を邪魔して治療を遅延させ、医界と患者の間の信用を破壊していると批判した。一連のデモ隊への過剰な実力行使を主導したルパート・ドーヴァー警視ら警察のイギリス人上級幹部は批判を浴びた。同日の夜、香港のテレビ局無綫電視が林鄭月娥のインタビューを放送、林鄭月娥はインタビューを通じて、「息子がわがままに騒ぎを起こしているのを母が見過ごすことはできない」としてデモを批判した。しかし今度は「香港のお母さんたちによる請願書」が発され、請願書は発表から16時間後には3万人が署名した。14日の夜にもチャーター・ガーデン(中国語版)で「香港媽媽反送中集氣大會」(香港のお母さんによる反送中激励大会)が実施され、主催者発表で6,000人以上が、警察発表で980人が参加した。 6月13日、民間人権陣線は6月16日のデモ実施を発表、主目的を逃亡犯条例改正案の完全撤回と逮捕されたデモ参加者の釈放とした。 6月15日夜、デモに参加した男性梁凌杰(中国語版)がパシフィックプレイス(英語版)の屋上から落下し、搬送先の病院で死亡した。 6月16日、デモは予定通りに実施され、主催者発表で200万と1人(「1人」は15日に落下死した男性を指す)が、警察発表で33万8千人が参加した。参加者は主催者の呼び掛けで、12日の警察による鎮圧を非難する象徴として、黒服を着用しデモ行進をしていた。以降、黒服がデモ者の特徴となり、それからの集会・デモ・衝突にも黒服を着用している参加者も多数存在している。なお、ブラック・ブロックという戦術を実践する為でもあった。 6月30日、警察を支持する集会もあったが、主催者発表で最大約16.5万、警察発表で5.3万人が参加した。 7月1日、デモ隊が香港立法会を一時占拠し、2日に警官隊が強制排除を行った。 7月21日、元朗駅で午後10時半ごろ、白い服に覆面姿の男達(三合会の構成員と見られている)がデモ参加者の特徴である黒い服の人々を襲撃して、木の棒または刀で殴りつけるなどの暴行をしたが、警察が現場に到着したのは事件後30分以上であり、意図的に遅れて到着したと疑う被害者もいた。デモ参加者や巻き込まれた利用客を含めた45人が負傷した。この日は大規模デモが呼びかけられており、その前々日ごろから元朗では親中派市民によるレノンウォールの破壊やデモ隊への襲撃予告があったため、事件は計画的なものだったとされている。また事件後、デモ隊襲撃の黒幕と目された地元の立法会議員ユニウス・ホウの両親の墓が荒らされる事件が起きたが、この事件の背景にはデモ隊襲撃の実行犯グループの中でユニウス・ホウに不満を持った人物による内部犯行説が指摘されている。
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