1992年 - 1997年:『DUNE』『Tierra』『heavenly』『True』
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「L'Arc〜en〜Ciel」の記事における「1992年 - 1997年:『DUNE』『Tierra』『heavenly』『True』」の解説
hiroとperoの脱退、kenとsakuraの加入 1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオ『L'Arc-en-Ciel』のプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが、6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった。後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入。kenは同年6月25日の新宿ロフトで行われたライブでL'Arc〜en〜Cielとして初めてステージに立つこととなった。 ken加入直後からアルバムのレコーディングを行い、完成直前まで漕ぎ着けたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。また、これに関しては脱退したhiro側から「自分の曲を使わないでほしい」と言われたことも理由の一つになっている。しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。これとほぼ同時期に、デンジャークルー (現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった。ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル「Floods of tears/夜想花」は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである。そして、このシングルリリース直後の1992年12月30日に大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもって、ドラマーのperoが脱退することとなった。 1993年1月16日、前年脱退したperoに代わりsakuraが加入。加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り、1stアルバム『DUNE』をデンジャークルーレコードより発売。限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった。5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。 1993年夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりの「キューン・ソニーレコード」と契約を結ぶ。 メジャーデビュー、地道な活動 1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』を発売しメジャーデビューする。同年7月14日には2ndアルバム『Tierra』、同年10月21日にはシングル「Blurry Eyes」を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。ちなみに、当時メンバーの口からメジャーデビューの発表は一切行われていない。このことに関し、tetsuyaは「ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった」と述べている。 メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ライブツアー「Tour Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった。hydeは当時を振り返り、「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う」と述べている。 1995年1月からは公式ファンクラブ「Ciel(現・LE-CIEL)」の発足記念ライブツアー「Ciel/winter '95」を開催。同年5月21日からはライブツアー「in CLUB '95」を開催。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『and She Said』を発売。さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『heavenly』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー「TOUR heavenly '95」では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。 自身初のミリオンセラー、sakura逮捕に伴う活動休止 1996年5月には、ライブ「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成。また、同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。中でも10月17日に発売したシングル「flower」は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。さらに、同年12月には4thアルバム『True』を発売。過去のアルバム3作と異なり、6人のアレンジャーを迎えて制作されたアルバムとなっており、「L'Arc〜en〜Cielの前期の集大成」といえる作品となった。アルバムは発売6週目でメジャーデビュー後では初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラーを記録した。 前年から1997年初頭にかけて初のアリーナツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される。これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、完全なバンド活動休止体制へ突入した。(詳細は"不祥事"の項目参照)
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