1992年 - 1996年 OCLVと関連企業の吸収合併
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「トレック・バイシクル」の記事における「1992年 - 1996年 OCLVと関連企業の吸収合併」の解説
1990年代初頭、トレックのテクノロジー部署マネージャーのボブ・リードはソルトレイクシティで開催された航空宇宙産業展に参加し、成型金型会社「ラディアスエンジニアリング」の成型技術に出会った。その出会いはリードにトレックの将来は強靭で軽いカーボンフレームの製造にかかっていると確信させた。「5000」の時の経験を活かし、トレックは自社工場内に大がかりなカーボンフレームの製造ラインを導入し、1992年、トレックはOCLVカーボンを使用した初めての完全自社製造カーボンフレーム「5500」と「5200」を発表した。OCLVはOptimum Compaction, Low Void(超高密度圧縮、超低空隙率)の略で、航空宇宙産業で使用されるカーボン技術をしのぐトレック独自の技術である。フレーム重量1.11kgの「5500」は世界最軽量のロードバイクフレームとなった。OCLVカーボンを使用したフレームの製造のためにトレックは本社工場を再度増設し、13,000㎡の新たな工場が新設された。1992年には同じくトレック初となるT3Cサスペンションシステムを採用したフルサスペンションバイク「9000シリーズ」も発表された。 1993年、トレックは1.29kgという世界最軽量でトレック初となるカーボンフレームマウンテンバイクである「9800」と「9900」を発表した。同年、トレックはマウンテンバイクの生みの親として知られ、オフロードサイクリング界で最も人気のあったゲーリー・フィッシャーの名前を冠したゲーリー・フィッシャーマウンテンバイクを買収した。フィッシャーはゲーリー・フィッシャーマウンテンバイクを1983年に創業し、1991年に自らの社長のポジションを残したまま、自社を台湾のアンレン社に売却した。1992年にニシキ、アズキ、クワハラといった自転車を米国へ輸入していたホーウィ・コーエンの助けを借り、18ヵ月後にフィッシャーをトレックに売却した。 1994年、トレックは当時伸び盛りだったホームフィットネス市場に参入し、トレックのフィットネスマシン「エクササイクル」を発表した。1996年にトレックはエクササイクルの生産を中止し、自社のフィットネス部門をビジョンフィットネスとして独立させた。1995年、トレックは従来の自転車のデザインとは全く異なる「Yバイク」を発表した。「Yバイク」は好調に売れ、著名な機械工学雑誌でデザイン賞とエンジニア賞を受賞した。同じく1995年、トレックは幅広い顧客の要望に応え、市場のシェアを拡大させるために、付加価値の高いアルミバイクを製造していたワシントン州チェホールズのクラインバイクとカリフォルニア州サンタクルスで自転車用コンポーネントと手製のスチールフレームを製造していたボントレガーサイクルを買収した。また、3度のツール・ド・フランス覇者であり、アメリカ人として初めてツール・ド・フランスを制したグレッグ・レモンがデザイン、製造、販売していたレモンサイクルと長期ライセンス契約を結んだ。1995年はトレックがウィスコンシン州ホワイトウォーターに最新鋭の組立工場を建設し、ウォータールーの工場をフレームの製造だけに集中させた年でもあった。
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