1970年代、つづれおり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 17:13 UTC 版)
「キャロル・キング」の記事における「1970年代、つづれおり」の解説
1970年代に入ってからは、シンガー・ソングライターとしての活動に本腰を入れ、1970年にアルバム『ライター』で再びソロ・デビュー。翌1971年のソロ・アルバム『つづれおり』( Tapestry )は、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続でトップ100に留まるロングセラーとなり、グラミー賞でも4部門制覇、現在まで約2200万枚を売り上げている。先行シングル「イッツ・トゥー・レイト」は、全米シングルチャートで5週連続1位、年間チャートでは第3位を記録。ジェームス・テイラーが、収録曲「きみの友だち」をカバーし、シングルチャート1位を獲得している。その後も、アルバム『ミュージック』『喜びにつつまれて』、シングル「ジャズマン」など、順調にヒットを連発。1970年代前半から中期を代表するヒットメーカーの一人となり、2つの年代にわたって天下を取った。 また、『つづれおり』が大ヒット中の1972年には、五輪真弓のデビュー・アルバム『少女』の制作をサポート。その後、1974年までの3年間、五輪のアルバム3作品を手掛けたことでも知られている。 ローレル・キャニオンにいる間に、キングはジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェル、そしてトニ・スターンと知り合った。 キングは1970年にルー・アドラーのオード・レーベル向けにテイラーのアコースティックギター演奏とバックボーカルを提供の受けた最初のソロアルバム『ライター』を製作した。 このアルバムはビルボードトップ200で84位に達した。同年、キングはB.B.キングのアルバム『インディアノーラ・ミシシッピ・シーズ』でキーボードを演奏した。 キングは『ライター』に続いて1971年に「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」と再解釈した「ナチュラル・ウーマン」、それに新曲を収録した『つづれおり』をリリースした。アルバムは、テイラーの『マッド・スライド・スリム』と同時期に録音され、キング、ダニー・コーチマー、ジョニ・ミッチェルを含むミュージシャンのセットが重複していた。どちらのアルバムにも「君の友だち」が収録されており、これはテイラーにとってナンバーワンのヒットとなった。キングは1972年のインタビューで、「ジェームズや、特に誰かを思い浮かべて書いたわけではないの。だけど、ジェームズはこの曲を聞いて本当に気に入って、録音したがったの」と述べている。 『つづれおり』はあっという間に成功した。「イッツ・トゥー・レイト」のビルボード・ホット100の1位を含む多数のヒットシングルで、『つづれおり』は15週連続で1位の座を維持し、ほぼ6年間チャートに残り、世界中で2500万部以上を売り上げた。 このアルバムは、アルバム・オブ・ザ・イヤー、女性のベスト・ポップ・ボーカル・パフォーマンス、レコード・オブ・ザ・イヤー(トニ・スターンの作詞による「イッツ・トゥー・レイト」)、キングが初の女性受賞者となる「君の友だち」に対するソング・オブ・ザ・イヤーの4つのグラミー賞を獲得した。このアルバムは『ローリング・ストーン』の「史上最高の500アルバム」に36番で掲載された。 さらに、「イッツ・トゥー・レイト」は、ローリング・ストーンが選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500の469番となった。 1971年12月にアルバム『ミュージック』がリリースされ、1971年12月9日にゴールド認定された。初登場8位でトップ10に入り、『つづれおり』と『ミュージック』が同時にトップ10入りした最初の週となった。翌週には3位に上昇し、1972年1月1日に1位となり、三週間1位にとどまった。このアルバムはさらにトップ10ヒット「スウィート・シーズンズ」(米国9位とアダルト・コンテンポラリー2位2)を生み出した。『ミュージック』は44週間ビルボードのポップアルバムチャートに残り、最終的にプラチナに認定された。 『喜びは悲しみの後に』(1972)と『ファンタジー』(1973)が後に続き、それぞれがゴールド認定を取得した。『喜びは悲しみの後に』はさらなるヒット「なつかしきカナン」(米国24位およびアダルト・コンテンポラリー1位)を生み出し、『ファンタジー』は2つのヒット「ビリーヴ・イン・ヒューマニティ」(米国28位)と「コラゾン」(米国37位、アダルト・コンテンポラリー5位)、ホット100でチャートインした別の曲「ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ」(米国67位およびアダルト・コンテンポラリー6位)を生み出した。1973年、キングはニューヨーク市のセントラル・パークで10万人が参加した無料コンサートを行った。 1974年9月、キングはアルバム『喜びにつつまれて』をリリースした。このアルバムは1974年10月16日にゴールド認定され、1974年10月19日に7位でトップ10に入った。2週間後には1位となり、1週間だけその地位に留まった。『喜びにつつまれて』からは2曲のヒットが生まれた。シングル「ジャズマン」は11月9日に2位となったが、翌週にはトップ10から脱落した。12月17日のシングル「ナイチンゲール」は、1975年3月1日に9位となった。 1975年、キングはモーリス・センダックの『おしゃまなロージー』のアニメ化されたTV番組用のセンダックによる歌詞の曲を同名のアルバムとしてリリースした。 『サラブレッド』(1976)は、オードレーベルの下で制作した最後のスタジオアルバムとなった。 デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ、ジェームス・テイラー、ワディ・ワクテルなどの長年の友人を集めたことに加えて、キングはゲリー・ゴフィンと再会してアルバムの4曲を書いた。彼らのパートナーシップは断続的に続いた。キングは1976年にアルバムのプロモーションツアーも行った。 1977年、キングは別のソングライターであるリック・エヴァースと『シンプル・シングス』でコラボレーションした。このアルバムはキャピトル・レコードから配給された新しいレーベルの最初のリリースである。その後まもなく、キングとエバーズは結婚した。彼は1年後にコカインの過剰摂取で他界したが、その時キングと娘のシェリーはハワイにいた。『シンプル・シングス』はタペストリー以来ビルボードのトップ10に到達できなかった初のアルバムであり、翌年のコンピレーションアルバム『グレイテスト・ヒッツ』と2010年の『ライヴ・アット・ザ・トルバドール』を除くとRIAAによる彼女の最後のゴールド認定レコードだった。 ゴールド認定のレコードステータスにもかかわらず『シンプル・シングス』はローリング・ストーン誌によって「1977年最悪のアルバム」に選ばれた。:394 アルバムの共同プロデューサーとしてデビューした『ウェルカム・ホーム』(1978)および『タッチ・ザ・スカイ』(1979)もトップ100に達しなかった。『パールズ (Pearls – The Songs of Goffin and King)』(1980)からははヒットシングル、「ワン・ファイン・デイ」のニュー・バージョンが生まれた。
※この「1970年代、つづれおり」の解説は、「キャロル・キング」の解説の一部です。
「1970年代、つづれおり」を含む「キャロル・キング」の記事については、「キャロル・キング」の概要を参照ください。
- 1970年代、つづれおりのページへのリンク