1935年-1989年とは? わかりやすく解説

1935年-1989年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 09:37 UTC 版)

中島丈博」の記事における「1935年-1989年」の解説

父は日本画家中島敬朝。京都生まれ太平洋戦争の影響1945年高知県中村市疎開。そこでプライバシー筒抜け地元住民の生活衝撃を受け、それが作風にも影響与えた語っている。この頃のことは『野蛮な詩』(疎開後の小学生時代)、『郷愁』(中学時代)、『祭りの準備』(20代上京まで)で小説・映画化している。1954年高知県立中村高等学校卒業高知相互銀行就職し三年ほど勤務するその頃からシナリオ書き始め映画雑誌シナリオ懸賞応募したりしていたが、シナリオ作家協会設立シナリオ研究所(現:シナリオ講座)の発足を知ると退職して両親猛反対押し切り1957年上京しシナリオ研究所第1期生として入所レストランコック見習いキャバレーボーイをして働きながらシナリオ研究所修了後、仕事6日休んで徹夜も辞さずに書いたシナリオ知り合いツテ中平康監督見せるが、「あなたにはおよそ向かないクニ帰りなさい」と言われ愕然とする。この作家修業時代のことは『独身送別会』としてドラマ化している。 しかし1959年同人誌発表したシナリオ脚本家橋本忍認められ橋本弟子を取ることは珍しく数人かいない)、約1年間直接創作指導を受ける。同人誌発表したシナリオ1961年に『南の風と波』の題で映画化され橋本忍監督)、脚本家デビュー同年日活脚本部と契約するが、当時日活アクション路線馴染め自身企画がなかなか通らず日活業績悪化進んだ1970年解雇される。しかし 日活ロマンポルノ時代になると1972年から1977年までフリー脚本家として神代辰巳田中登小沼勝西村昭五郎などの監督作13執筆しこの頃1990年代後半から2000年代前半ドロドロ愛憎劇昼ドラ原型作った。 その一方で1973年ATG発表した津軽じょんがら節』がキネマ旬報ベストテン1位、1975年発表自伝的作品祭りの準備』がキネマ旬報脚本賞、ベストテン2位劇映画1位)と高く評価される。そして連続ドラマ執筆するうになる。。1978年ドラマ人間模様『事件』NHK)の脚本大岡昇平原作)が高い評価受けた続編執筆依頼もあったが辞退している)。ちなみにこの続編その後全くのオリジナルドラマとして、早坂暁によって新たに5本書かれ、事件シリーズとして全てNHK放送された。翌1979年から大河ドラマ脚本担当するようになり、大河ドラマでは最多となる4作品(『草燃える』〈1979年〉、『春の波涛』〈1985年〉、『炎立つ』〈1993年〉、『元禄繚乱』〈1999年〉)を執筆1988年、『祭りの準備』の前日談とも言える中学時代描いた映画郷愁』で脚本と初監督1989年NHKドラマ恋愛模様』『海照らし』『幸福な市民』で第8回向田邦子賞受賞

※この「1935年-1989年」の解説は、「中島丈博」の解説の一部です。
「1935年-1989年」を含む「中島丈博」の記事については、「中島丈博」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1935年-1989年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1935年-1989年」の関連用語

1935年-1989年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1935年-1989年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中島丈博 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS