鹿島守之助が設立した団体等
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1946年(昭和21年) 1月、子会社・播州塩業を設立。 1949年(昭和24年) 4月、建設業界で初めて技術研究所を設立。 1956年(昭和31年) 4月、東亜不動産株式会社設立。11月、財団法人鹿島育英会設立。 1957年(昭和32年) 鹿島研究所設立(1966年に鹿島平和研究所へ発展・改組)。 1962年(昭和37年) 鹿島精一記念展望台の建設。旧盛岡藩士葛西晴寧と葛西すえの長男であった義父・精一の故郷盛岡市に記念として発案。鹿島建設が建設し、盛岡市に寄贈。義父・鹿島精一(1875年7月1日–1947年2月6日)もまた鹿島家の婿養子であり、鹿島家の支援で帝国大学に入学し、1899年に東京帝国大学工科大学を2番の成績で卒業(土木工学科)し逓信省鉄道作業局に勤務、同1899年に鹿島糸子と結婚し葛西姓から鹿島姓になり鹿島組の副組長に就任した。東大卒キャリア官僚を結婚相手に選び、政・官・財界に人脈を拡大してゆくのが鹿島創業一家の伝統である。 1963年(昭和38年) 3月、鹿島研究所出版会設立(のちの鹿島出版会)。4月、日本技術映画社設立(1969年9月より鹿島映画、1987年よりカジマビジョン、2012年よりKプロビジョン)。映画への関心はトロツキーの「20世紀には成人は全て映画によって決定的な教育を受けるであろう」という言葉と、「これを何回見たかしれない」という米国大手建設会社モリソン=クヌードセン(Morrison-Knudsen: MK)によるアフガニスタンとスリランカ(セイロン)の開発事業の記録映画の影響である。 1964年(昭和39年) 2月、米国ロサンゼルス市に現地法人KII(Kajima International, Inc.)設立。8月、「日本版ブルッキングス研究所」の鹿島建設赤坂別館竣工。赤坂別館は晩年の鹿島会長にとって大好きな本たちに囲まれ最高の癒しの場所になった。 1966年(昭和41年) 7月、財団法人(2012年より一般財団)鹿島平和研究所設立。1967年から1977年まで鹿島平和研究所は鹿島平和賞の顕彰を行い、10人に授与した。第1回クーデンホーフ=カレルギー伯爵、第2回鳩山薫(鳩山一郎夫人)、第3回ヒューバート・H・ハンフリーとウィリアム・ベントン(William Benton)、第4回佐藤尚武、第5回ハメンクブウォノ9世、第6回ヴァルター・シェール、第7回佐藤栄作、第8回イメルダ・マルコス、第9回アミントレ・ファンファーニ(第9回は守之助死去により卯女が授与)。鹿島は鳩山薫と佐藤栄作がノーベル平和賞を授賞するための活動もした(鳩山薫に関しては失敗した)。 社長時、「太平洋戦争で荒れ果てた森林を再建することこそ、国家再興の基礎である」という信念で社有林を保有。
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