高額賞金争いと多様化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
凱旋門賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ワシントンDCインターナショナルという新しい国際高額競走の成功によって、各地に様々な似たような競走が創設された。 イギリスでは1972年にアスコット競馬場の夏の大イベントであるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスが、デ・ビアスをスポンサーに迎えて賞金増に踏み切った。というのも、この年の夏にヨーク競馬場に新設された高額賞金のベンソン・アンド・ヘッジズ・ゴールドカップに対抗するためであった。この新競走は、タバコ大手のベンソン・アンド・ヘッジズ社をスポンサーにして多額の賞金を提供し、初年度から18連勝中の名馬ブリガディアジェラード(Brigadier Gerard)とダービー馬ロベルトを呼び寄せるのに成功していた。両レースの間隔は3週間ほどしかなく、アスコット競馬場では有力馬が奪われることを警戒したのだった。 イギリスの大レースの賞金が引き上げられるのを、世界最高の競走を自負する凱旋門賞の主催者が黙って見ているわけにはいかなかった。しかしフランスでは、イギリスのように酒やタバコの企業がスポンサーになることは法律で禁止されていた。数年かけてスポンサーを探したが、フランスの企業はギャンブル業界のスポンサーになることに二の足を踏み、最終的に交渉できたのはイギリスにある国際的な旅行業界の大手、トラストハウスフォート社だった。1982年の夏、30分の会談の末に同社は毎年10万ポンドを超すスポンサー料を支払うことで合意した。 1984年にはアメリカでブリーダーズカップが創設された。この新しい競走は、アメリカ国内のすべての種牡馬から1回分の種付料を登録料として集めることで、巨額の賞金を確保することに成功した。この登録料を納めない種牡馬の子はブリーダーズカップに出ることができないため、ほとんどの種牡馬の所有者はこの登録料を支払った。この競走は一日ですべてのカテゴリーのチャンピオンを決めるためのレースを続けて行い、なかでも「クラシック」は世界最高額の300万ドル(当時のレートで約7.5億円)を提供したし、ヨーロッパから一流馬を集めて行われる「ターフ」も巨額の賞金を提供した。かつて隆盛したワシントンDCインターナショナルはすっかり廃れてしまい、やがて廃止となった。 1981年に日本で創設されたジャパンカップは、圧倒的な資金力を背景にした高額賞金を売りにして、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアから一流馬を集めることに成功した。アメリカでブリーダーズカップが創設された1984年には、ジャパンカップの総賞金は1億4000万円を超えていた。ジャパンカップは、かつてのフランスと同じようにパリミチェル方式による馬券の売り上げを資金源としていて、ヨーロッパのようにスポンサーに頼らずとも世界有数の高額賞金を提供することができた。 1988年に創設された香港国際カップや、オーストラリアのコックスプレートも賞金を積み増しして、凱旋門賞に引けをとらない高額賞金を実現した。しかし、極めつけは1996年に始まったドバイワールドカップで、オイルマネーを背景に、ブリーダーズカップを上回る600万ドルの賞金を出し、他の追随を許さない世界最高賞金の競走となった。 ドバイワールドカップに刺激された日本では、2000年にジャパンカップの総賞金を一挙に2億円以上引き上げて、4億7600万円とした。1着賞金だけでも2億5000万円である。凱旋門賞では、1999年から新たに高級ホテルグループのルシアン・バリエール(Groupe Lucien Barrière)とスポンサー契約を締結し、2000年には1050万フラン(約1.7億円)の総賞金を用意した。しかし各国の高額賞金争いはとどまることを知らず、2006年にはブリーダーズカップの総賞金がドバイワールドカップに迫る500万ドル(約5.8億円)になった。 2008年、ルシアン・バリエールに替わって新たに凱旋門賞のスポンサーになったのはカタール競馬馬事クラブだった。カタールは、凱旋門賞当日にアラブ馬による世界最高の競走を開催することを条件に、巨額の資金を提供することに同意した。アラビアンワールドカップが凱旋門賞ウィークエンドに加えられ、この結果凱旋門賞の賞金は従前の倍、400万ユーロ(6.5億円)になり、ドバイワールドカップには及ばないものの、芝の競走としては世界一位となった。 しかしその後も各国の賞金争いは続いており、2010年にはドバイワールドカップの賞金が1000万ドル(8.4億円)、オーストラリアのメルボルンカップは620万豪ドル(約5億円)の賞金を出すことになった。凱旋門賞は、ヨーロッパ経済の不調からユーロ安となり、相場の変動のため一位の座から転落した。2012年の時点では、芝コースではジャパンカップ、メルボルンカップに次ぐ3位となっている。これに対抗し、凱旋門賞では2018年までに賞金を530万ユーロまで引き上げると発表した。 凱旋門賞にとって救いだったのは、これらの後発の高額賞金競走が、すべて凱旋門賞とは日程的に競合しない点にあった。イギリスのイベントは夏に行われるし、アメリカやアジアの高額賞金競走は凱旋門賞よりも何週間かあとに設定され、凱旋門賞の上位馬を呼び寄せることで権威付けしようとしていたし、ドバイワールドカップはヨーロッパのオフシーズンにあたる3月に開催された。 しかし、2011年にイギリスのチャンピオンステークスが従来より施行時期を早めて10月中旬に開催することになると、凱旋門賞の主催者はこれにはっきりと抗議した。それまで、凱旋門賞に出走したヨーロッパの一流馬は、その後はアメリカのブリーダーズカップへ転戦するか、日本のジャパンカップを目指すか、ヨーロッパにとどまってチャンピオンステークスに出走するか選ぶことができた。しかし、新しい日程のもとでは、チャンピオンステークスと凱旋門賞の両方に出走することは極めて難しかった。しかもチャンピオンステークスは、凱旋門賞と同じカタールをスポンサーに据えて130万ポンド(約1.8億円)の高額賞金を出すことで、ヨーロッパの一流馬を凱旋門賞とチャンピオンステークスとで奪い合いになるのは明らかだった。2012年のシーズンのはじめに、フランス、イギリス、アイルランドの競馬主催者が協調して大レースの施行日を調整し、アメリカやアジアに一流馬を奪われるのを防ぐとの発表が行われた。 2013年には総賞金が480万ユーロになり、2014年には500万ユーロに引き上げられた。
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