香港返還後
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1998年6月1日、広深線の電化が完成し、新たに最高時速200kmの「新時速」車体傾斜式車輛が導入された。新時速列車の列車番号には高速列車を示す「“G(高)”」の字がつけられ、九龍~広州東間の所要時間は最短で90分となった。同年8月28日、香港の九広鉄路公司(1983年2月1日に公社化)はKtt列車を導入した。Kttは両端の電気機関車はスイス製、機関車の間に挟まれた2階建て客車は日本の近畿車輛製で、食堂車と荷物車の連結はないが、特等車が連結されアテンダントによるスナックの無料提供がある。Kttは運行開始当初は1日1往復であったが、2019年現在では1日3往復運行されている。 1999年6月28日、広九直通列車は3往復増発された。2001年6月13日、広深鉄路株式会社(中国語版)と香港九広鉄路公司は、九龍~東莞間で金曜日、土曜日、日曜日に限って運行される「假日直通車」の共同運行を開始した。「假日直通車」の列車番号はT823/818次とされ、サービスについては他の広九直通列車と同等とされた。2002年12月25日から、假日直通車は週末だけでなく、火曜日から日曜日まで運行されることになり、毎週6日間運行された。 2003年6月29日に「中国本土・香港経済連携緊密化取決め」(CEPA)が実施され、広九直通列車は2003年6月28日から10月20日にかけて3往復増発された。この際、九龍~東莞間で運行されていた列車も2003年6月30日に広州東まで延長され、毎日運行となった。さらに2004年4月18日、広九直通列車は新たに2往復増発された。この時の増発によって、広九直通列車の1日の運行本数が12往復となり、ほぼ1時間に1本のペースで運行されるようになった。そしてこの年、運行再開25年にして広九直通列車の旅客輸送人数は4500万人に達した。 2008年12月21日、香港MTR(2007年12月、香港MTRは九広鉄路公司を吸収合併)は広九直通列車のダイヤ改正を行った。この際、広深線内での最高速度を160km/hから140km/hに引き下げたため、列車の所要時間が増加した。 2010年10月22日には、台湾の著名な作家である李敖が広州から九龍までT815次列車に乗車した。李敖はサービスの高さに歓心し、「我風に乗って帰り去らんと欲す、ただ心に称(かな)えば広鉄有り(我欲乘風歸去、只有廣鐵稱心)」と、蘇軾の水調歌頭(中国語版)をもじった漢詩を詠んだ。2010年10月、広九直通列車は1979年4月の運行再開以来、6250万人の旅客を輸送した。広州鉄路集団公司の統計によると、運行再開初期の旅客のほとんどは外国人および海外華僑や香港、マカオ、台湾からの旅客であったが、2010年には旅客の半分以上が中国本土からの観光客やビジネスマンとなっており、30年間で広九直通列車の客層は大きく変化していることがわかる。2012年12月21日、広九直通列車で18年間使用されてきた25Z系客車が、すべて新型の25T系客車に置き換えられ、同時に広九直通列車の乗務員の制服もリニューアルされた。ただし、路線の設計上の原因から列車の最高速度は140km/hのままとされた。 2013年、広九直通列車は1年間に430万人の旅客を輸送した。2014年2月1日(旧暦1月2日)には、1日に14600人の旅客を輸送する最高記録を打ち立てた。 2018年、広深港高速鉄道が開通したことによる乗客減少により、肇慶発着系統の廃止、一部の減便が行われた。 2020年1月30日、香港政府は新型コロナウィルス対策として、広深港高速鉄道も含め本土との直通列車を暫定停止すると発表した。 2022年4月、運休が続いている本列車について、広深港高速鉄道開業後は2019年時点で利用客が3割減となっていたことや、2022年中に東鉄線の金鐘駅延伸時に9両への減車および増発で線路容量が変化することなどを理由に本列車運営人員の配置転換やメンテナンス用部品調達の停止を検討しており、同高速鉄道が広州東駅に乗り入れる2023年を目途に正式に廃止される見通しが示された
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