香港譲渡問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:03 UTC 版)
「マーガレット・サッチャー」の記事における「香港譲渡問題」の解説
詳細は「香港返還」を参照 1982年9月、サッチャーは中国を訪問し、ここに英中交渉が開始されることになった。鄧小平は「港人治港」の要求で妥協せず、イギリスが交渉で応じない場合は、武力行使や水の供給の停止などの実力行使もありうることを示唆した。当初、イギリス側は租借期間が終了する新界のみの返還を検討していたものの、イギリスの永久領土である香港島や九龍半島の返還も求める猛烈な鄧小平に押されてサッチャーは折れた恰好となった。 1984年12月19日、両国が署名した英中共同声明が発表され、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還し、香港は中華人民共和国の特別行政区となることが明らかにされた。この譲渡及び返還決定は、フォークランド紛争の際と対照的なその弱腰な姿勢が国内外から大きな批判を浴びた。
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