香港貿易と不遇の頃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:24 UTC 版)
明治25年(1892年)、第1次松方内閣による流血の選挙干渉事件の際、杉山は頭山の指示のもと、民党圧迫に協力するが、頭山が松方の豹変に激怒して政界との関わりを絶った頃、杉山も玄洋社から離れた。この前後から杉山は香港との間に石炭貿易を始め、何度も現地に渡航している。杉山は香港貿易を通じて経済知識を蓄え、同時に西欧列強による中国の経済支配の様相を実見して、国家の経済的自立の重要性に目覚めた。しかし貿易事業そのものは失敗し、杉山は妻子を福岡に残して上京した。この時期、福岡に残された家族が貧窮のどん底にあったことは、後年杉山の長男の夢野久作が書き残している。
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