関西の浪曲師
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岡本鶴治(おかもと かくじ) 岡本玉治(おかもと たまじ)-フラフラ節。相模太郎の芸風確立に多大な影響を与える。 京山恭安斎 (きょうやま きょうあんさい)- 成立期に活躍。初代京山恭安斎 二代目京山恭安斎 京山幸枝 京山幸枝若初代京山幸枝若 - 「会津の小鉄」ほか侠客ものを明るいケレンで聴かせる。河内音頭も有名。 二代目京山幸枝若: - 初代の実子。父譲りの芸。 京山小円 - 桃中軒雲右衛門、二代目吉田奈良丸と共に第1期浪曲黄金時代。 京山小円嬢 - 関西女流浪曲の三羽ガラスの一人。初代京山小円嬢 二代目京山小円嬢 京山若丸 - 「新談(新作)読み」の自作自演で知られた。第1期浪曲黄金時代の一人。 松風軒栄楽 - 新作浪曲が得意で「乃木大将」や「青山殺人事件」。 天光軒満月 - 菊池寛の「父帰る」や「召集令」など「悲劇読み」の大家。三代目天光軒満月 天龍三郎 - 二代目広沢菊春の実弟。晩年は関西の重鎮として活躍。 筑波武蔵初代筑波武蔵 梅中軒鶯童- 師匠を持たず、自由奔放な「鶯童節」で関西の大看板になった。「紀伊国屋文左衛門」。 春野百合子二代目春野百合子 - 女流浪曲の大御所。「西鶴五人女」シリーズ。 日吉川秋斎 - ノリの良い秋斎節で「左甚五郎」「水戸黄門」。 日吉川秋水 - ケレン(お笑い)浪曲の第一人者。初代日吉川秋水 2代目日吉川秋水 広沢菊春初代広沢菊春 - 2代目菊春、天龍三郎兄弟の父。 広沢駒蔵 - ケレン浪曲の中堅。「水戸黄門」「左甚五郎」。 広沢虎吉二代目広沢虎吉 - 浪花節親友派組合頭取。定席小屋「広沢館」を経営、隠居し「井上晴夢」。弟子に2代目広沢虎造他。 広沢瓢右衛門 - 売れ出したのが浪曲衰退期の昭和50年代、70歳を過ぎてからと言う異例の浪曲師。自他共に認める悪声。 冨士月子 - 東京で単身独立独歩の修行を経て、初代春野百合子と人気を二分。親友協会初の女流会長。 冨士月の栄 - 関西戦後四天王。 藤川友春 - 「弁慶新五郎」「柳生十兵衛旅日記」「難波戦記」「鍵屋騒動」「朝鮮軍記清正の苦心」「侠客小仏重三」「後藤又兵衛」などを口演。ハンセン病を押して高座に上がり続けるがついに下ろされ療養に入る。 芙蓉軒麗花(広沢香菊改め) - 戦前は姉の若菊と共に東京で女流浪曲団「初音会」の座員。戦後「ろうきょく炭坑節」のレコードが大ヒット。 松浦四郎若 - 関西の正統派。 真山一郎初代真山一郎 - 歌謡浪曲の雄。 二代目真山一郎: 三原佐知子: 宮川左近四代目宮川左近 - のちに宮川左近ショーに転じ、一般的に名が知られる。 宮川松安(みやがわ しょうあん) (昭和39年没)- 放送に初めて乗った浪曲師。楽浪曲も。謹厳実直の堅物としてのエピソードが残る。 吉田小奈良(よしだ こなら) - 二代目奈良丸の妹。明治から大正にかけての代表的女流浪曲師。 吉田奈良丸 - 名門名跡。二代目吉田奈良丸 - 関西浪界(浪曲界)の重鎮。桃中軒雲右衛門のライバル。後に「吉田大和之丞」と改名。 三代目吉田奈良丸
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