長榴弾砲概要とは? わかりやすく解説

長榴弾砲概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 21:15 UTC 版)

七年式三十糎榴弾砲」の記事における「長榴弾砲概要」の解説

榴弾砲明治43年要塞整理委員決議に基づき射程要塞備砲として研究開始された。技術審査部明治44年 (1911)に設計完了し大正元年 (1912)12月設計要領所を提出した。本砲は固定砲床を用い砲身後座砲口径305 mm砲身長23.5口径高低射界-2〜+65度・最大射程14,000 mといった諸元備えるものとした。開発当たっては短榴弾砲同じく第一次世界大戦の勃発によって海外発注した素材供給滞ってしまったが、到着した素材は短榴弾砲速成用いられた。更に素材をすべて国産のものとした試製砲は大正5年末より製造開始大正6年12月完成した大正7年1月伊良湖射場第1回機能試験および弾道試験行い結果良好であったためにこの試験のみで本砲の審査終えることとなった陸軍技術審査部大正7年10月31日に本砲を七年三十珊長榴弾砲として制式制定上申した。本砲もまた度量衡法改正に伴う度量衡単位変更により七年式三十糎長榴弾砲表記することとなった大正15年 (1926年)2月22日付第644号研究方針によって長榴弾砲陸戦使用するための移動砲床の研究開始された。試製移動砲床は同年8月完成したものの試験用いる長榴弾砲無く昭和3年 (1928年)の13号砲の完成を待つこととなった。同砲を用いて同年8月から9月にかけて機能試験および砲弾100発を用いて射撃抗堪試験実施した結果、砲床の組み立て問題はなく砲の据付四脚三十起重機用いれば固定床上となんら変わりなく作業が行えることが確認された。移動砲床の実用試験省略し昭和5年6月制式制定上申された。総重量陸軍移動式の砲としては最大級となる122,937kgに達し組み立て天候地形にも左右される30名の人員で約30時間標準とした。実際の運用では60名で25時間、最も長いものでは80名で50時間要することもあった。 火砲構造基本的に榴弾砲同様の構成とっている。その規模重量から砲の移動速度や展開時間の点で短榴弾砲より劣るものの、引き換えに縦深を有する敵陣破砕においてはより優れた性能有していた。距離6,000 - 10,000 mの目標破壊要する所要弾数は短榴弾砲半分程度であった現場からは長榴弾砲攻城砲としての価値引き出すために備砲作業要員増加作業機械化などに対す要望出されていた。 昭和13年(1938年)4月には機密保持上の観点から本砲の陸軍部外に対す名称として「特二十四糎榴弾砲(長)」を使用するよう通達出された。

※この「長榴弾砲概要」の解説は、「七年式三十糎榴弾砲」の解説の一部です。
「長榴弾砲概要」を含む「七年式三十糎榴弾砲」の記事については、「七年式三十糎榴弾砲」の概要を参照ください。

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