長期ビジョン「スタンダード21計画」スタートと忍び寄る影
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「スタンダード靴」の記事における「長期ビジョン「スタンダード21計画」スタートと忍び寄る影」の解説
1987年 21世紀を展望した「スタンダード21計画」スタート。パラマウント製靴が倒産した後にパラマウント製靴労組との間に係争になっていたがこの年10月に和解が成立。社の不動産売買などを担当する「エスエス興業株式会社」設立。有力取引先であった「田中製靴」は多額の未処理損失を抱え債務超過により倒産。連鎖倒産を避けるために50%の債権放棄と同社の土地、建物、描き設備を買受けることで救済した。旧「田中製靴」の従業員を再雇用し「カントリーシューズ株式会社」として新たなるスタートを切った。1986年にスタートしたリペア事業は上野駅構内、品川、赤坂に順次出店を計画し「スタンシューショップサービス株式会社」を設立した。「ルイフェロー」を発表。スタンダード靴チェーン東京ブロック会がその役目を終え35年の歴史に幕を閉じた。 1988年 浅草本部事務所兼ショールームが手狭になったため東京日本橋人形町フローラルビルに移転し東京本社開設。1月に「アサヒ商事」が解散。 1989年 昭和天皇が崩御。「株式会社エトワールジャパン」へ出向していた社員を東京本社工場へ復帰。これに伴い本社工場の5種(グッドイヤー・マッケイ・アウトステッチ・プラット・セメント)同一ラインで製造していた製造工程を効率を高めるため、2つ(マッケイ専門とその他)のラインに分割することになった。一方、商品企画部には島精機製作所と共同開発したコンピューターグラフィックを導入し開発の効率化をはかった。機械設備の増強のため子会社三社を増資「日本エクセル株式会社」(新資本金2千万)「エトワールジャパン」(新資本金2千万円)「日本パーツ」(新資本金1千万円)になった。この年「カントリーシューズ」のみ増収減益だったが、その他の子会社は全て増収増益になったため「エトワールジャパン」に出向していた社員は本社を退職後に「エトワールジャパン」に転職した。この年の連結決算は122億110万円(前期比108.4%)経常利益5億3400万円(前期比137.9%)と累積赤字の解消へ弾みをつけた。中国へ生産拠点の拡大のために準備をしていたが天安門事件の発生により一時中断せざるを得なくなった。 1990年 米国の立牛の減少と韓国企業のスポーツシューズ向けの大量買い付けなどでシカゴ原皮相場が37%上昇しさらに円安も加わったため材料価格は高騰し、このため商品価格を値上げした。紳士部門の強化のためにディミトリーオブイタリー社とコンサルティング契約し新ブランド「ディミトリー」を発売。「スタンダード靴(株)ミラノ駐在事務所」を設立。5億円に増資。この年売上高が145億円になり過去最高の増収増益、ついに累積赤字は解消された。 1991年 ミラノの情報を元に「フランコギャレリア」を発表し「ヴィバーチェ」「エクセル」「フーバー」「オブジェ」「アクタイム」の自社ブランドと「カルダン」「ダックス」「ウォルターウルフ」「ハンテン」のライセンス商品、「モレスキー」「R&M」「カスパ」「フォレステ」「ロッシ」「キアイア」の輸入ブランドという構成になった。三越が台湾に進出するのに呼応して「台湾スタンダード靴株式会社」を設立。新光三越にテナント出店する商談も進んだ。 1992年 東京学芸大教授の渡辺雅之の指導で健康志向を追求した「エクセルヘルシーウォーク」を開発した。 1993年 創業70周年を翌年に控え記念ブランドとして「スタンデューク」を発表。STANDARD+DUKE(侯爵)という意味の気品ある商品として社内ネーミングコンテストで選ばれた。グッドイヤー製法(ロイヤル6型23,000円)マッケイ製法(デューク8型16,800 円)セメント及びサイドステッチ製法(グレンフィールド6型13,800〜17,800円)の3グレイドで発売された。 1994年 創業70周年を迎える。「スタンダード靴七十年史」刊行。
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