鎌倉時代から戦国時代まで
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「大山 (神奈川県)」の記事における「鎌倉時代から戦国時代まで」の解説
鎌倉時代には、糟屋氏が源頼朝の御家人となったため、大山寺は鎌倉幕府の庇護を受けることとなった。『吾妻鏡』には、大山寺が源頼朝や源実朝から寄進を受けた旨の記載がある。その後、一時荒廃した大山寺だが、京都東寺の再興事業で実績を上げた願行房憲静(けんじょう)の手で復興された。このとき、願行は蒙古を降伏させる秘法を修得するため大山に登り、百日間の苦行を行い、師匠・意教房頼賢が提供した鉄造の不動明王像の前で祈り続けると、怒り狂った不動明王の姿がみえ、その後、不動明王像の目が見開かれたという。願行は、この時の不動明王の姿をもとに、二体の鉄造の不動明王像を製作し、その一体が大楽寺の不動明王像(「試みの不動」と呼ばれる。現・覚園寺蔵。神奈川県重要文化財)となり、もう一体が大山寺の不動明王像(国の重要文化財)となったとされる。 室町時代においても、当初、大山寺は室町幕府・鎌倉府の庇護を受けていたと考えられるが、やがて顕密系地方山岳寺院の当時の一般的状況として、地域領主層や勧進唱導活動等で一山の経営を支えるようになった山内宗教者集団の発言権が増していったであろうと想像される。文明18年(1486年)の冬に大山に登った聖護院門跡道興准后は、『廻国雑記』に雪の大山山内に宿泊し「その夜の大山は寒くて眠れなかった」などの漢詩と和歌を詠んでいる。ここから、当時の大山寺に、近衛摂関家の貴種であり全国山伏の棟梁一行を迎えるだけの山伏集団が存在していたと考えられる。なお、室町時代の後期のころに、『大山寺縁起絵巻』が成立した。 戦国時代に、大山は小田原の北条氏の支配下に入り、北条氏は大山の宗教勢力を利用しようとしたことが諸史料からわかっている。なお、大山の山伏集団は本山派の院家勝仙院(のちの住心院)の霞下であったと考えられる。天正18年(1590年)に徳川家康に与する軍勢が小田原を攻略した際には、大山の宗教勢力は北条氏に与して、激しい戦いを繰り広げた。
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鎌倉時代から戦国時代まで
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「大山寺 (伊勢原市)」の記事における「鎌倉時代から戦国時代まで」の解説
鎌倉時代には、糟屋氏が源頼朝の御家人となったため、大山寺は鎌倉幕府の庇護を受けることとなった。『吾妻鏡』によれば、建久3年(1192年)8月9日、源頼朝は北条政子の安産祈願のため、当寺を含む相模国の寺社に神馬を奉納している。その後一時衰退するが、文永年間(1264 - 1275年)、京都東寺の再興に業績を上げた願行房憲静(けんじょう)により中興となった。このとき、憲静は蒙古を降伏させる秘法を修得するため大山に登り、百日間の苦行を行い、師匠・意教房頼賢が提供した鉄造の不動明王像の前で祈り続けると、怒り狂った不動明王の姿がみえ、その後、不動明王像の目が見開かれたという。憲静は、この時の不動明王の姿をもとに、二体の鉄造の不動明王像を造立し、その一体が大楽寺の不動明王像(「試みの不動」と呼ばれる。現・覚園寺蔵。神奈川県指定重要文化財)となり、もう一体が大山寺の不動明王像(国の重要文化財)となったとされる。 室町時代においても、当初、大山寺は室町幕府・鎌倉府の庇護を受けていたと考えられるが、やがて顕密系地方山岳寺院の当時の一般的状況として、地域領主層や勧進唱導活動等で一山の経営を支えるようになった山内宗教者集団の発言権が増していったであろうと想像される。文明18年(1486年)の冬に大山に登った聖護院門跡道興准后は、『廻国雑記』に雪の大山山内に宿泊し、「その夜の大山は寒くて眠れなかった」などの漢詩と和歌を詠んでいる。ここから、当時の大山寺に、近衛摂関家の貴種であり全国山伏の棟梁一行を迎えるだけの山伏集団が存在していたと考えられる。なお、室町時代の後期のころに、『大山寺縁起絵巻』が成立した。 戦国時代に、大山は小田原の北条氏の支配下に入り、北条氏は大山の宗教勢力を利用しようとしたことが諸史料からわかっている。なお、大山の山伏集団は本山派の院家勝仙院(のちの住心院)の霞下であったと考えられる。天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原を攻略した際には、大山の宗教勢力は北条氏に与して、激しい戦いを繰り広げた。
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