神奈川県指定重要文化財
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「真福寺 (横浜市青葉区)」の記事における「神奈川県指定重要文化財」の解説
木造千手観音立像 平安時代後期の作風をもち、関東における千手観音像の古例の一つと考えられる。頭体の主要部分をヒノキの一木から彫り出している。頭頂の仏頭、体側の四本の脇手の肘から先、両足先などは欠けたものを後世補っている。千手観音像は四十二臂で「千手」を代表させるのが通例だが、本像は八臂となっている。
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神奈川県指定重要文化財
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六十二間筋兜鉢・附金具残闕三種(ろくじゅうにけんすじかぶとばち・かなぐざんけつさんしゅ)平成11年(1999年)11月26日指定、指定番号は工芸第86号。同兜は、社伝では、武田信玄が永禄12年(1569年)10月に後北条氏の小田原城を攻めた際に戦勝を祈願して奉納したとも、合戦に際して神社の周囲を焼き払い陣所を一時構えたことへの詫びとして納めたとも伝わるもので、『新編相模国風土記稿』にも図入りで掲載されている。当初は兜全体が黒漆塗であったが経年によりほとんど剥落し、現状は眉庇と筋の一部に黒漆が残存するほかは鉄錆地となっている。鉢の地鉄はよく鍛えられて厚く、戦国時代の関東地方で製作された筋兜鉢の基準例となる入念作である。鉢裏には、「天文六年丁酉三月吉日」の年紀、兜鉢の作者「房宗」(ふさむね)の銘と花押に加え、天照皇太神宮・八幡大菩薩・春日大明神の三社神号や般若心経が切られている点が珍しい。武田氏の家紋である花菱紋を表した金銅の飾り鋲が付属していることから、社伝通りに信玄が奉納した可能性が高いと考えられる。後北条氏に庇護されていた相州甲冑師といわれる房宗が製作した兜を信玄が所用・奉納したことについて、甲冑研究家の三浦一郎は、同兜が製作された天文6年(1537年)には武田・北条両氏に何らかの関わりがあったのではないかとし、後に信玄が同兜を奉納したのは、永禄11年(1568年)の甲相同盟破綻に抗議の意思を込めてのことではないかと推測している。また、兜鉢には後頭部を防御するシコロの一段目の板と、胴の脇板・胸板の一部に繰半月の前立物が添うが、三浦は、脇板と胸板は天正末期のもので織豊政権の武将が用いた甲冑の意匠に酷似することから、豊臣秀吉の小田原征伐に従った武将が奉納した甲冑の部品の可能性があるとしている。なお、県指定重要文化財に指定される前の昭和16年(1941年)4月9日には国から重要美術品に認定されている。現在、当社の方徳資料館にて展示されている。
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