鎌倉時代から室町時代頃まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 00:16 UTC 版)
鎌倉時代に入るとヱとエの混同が顕著になり、13世紀に入るとヱとエは統合した。ヱが /we/ から /je/ に変化することによって エと合流したと考えられている。また、漢字音の「クヱ」「グヱ」もそれぞれ [ke] 、[ɡe] と発音されるようになり「ケ」「ゲ」に合流した。 ハ行転呼やいくつかの音節の統合により、同じ発音になった仮名が多数生じ、仮名遣いに動揺が見られるようになった。藤原定家(1162年 - 1241年)は『下官集』の「嫌文字事」で60ほどの語例について「を・お」「え・へ・ゑ」「ひ・ゐ・い」の仮名遣いの基準を示した。定家の仮名遣いは11世紀後半から12世紀にかけて書写された仮名の文学作品を基準としたものと見られるが、藤原定家が基準にしたものには既にハ行転呼が生じて表記が動揺していたものも含まれており、本来は「へ」である「行方」(ゆくへ)が「ゑ」とされ、本来は「ゑ」である「絵」(ゑ)が「え」に、「故」(ゆゑ)、「植ゑ」(うゑ)、「酔ふ」(ゑふ)が「へ」とされるなど、元々の発音とは異なる表記が採用されたものもあった。 南北朝時代になると行阿が『仮名文字遣』(1363年以降成立)を著し、対象語数を1000語以上に大幅に増やした。以後『仮名文字遣』の仮名遣いが「定家仮名遣」として一般に広く受け入れられた。定家仮名遣は特に和歌や連歌など歌道の世界で広く使われたが、それ以外の分野では「ゑ」「え」および語中・語尾の「へ」の書き分けが混同したものがしばしば見られる。16世紀(室町時代後期)のキリシタン資料におけるローマ字表記では、元々のヱ、ア行のエ、ヤ行のエはいずれも語頭・語中・語尾に関わらず 「ye」 で書かれており、発音がいずれも /je/ だったことが分かる。
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鎌倉時代から室町時代頃まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 01:28 UTC 版)
藤原定家(1162年 - 1241年)は『下官集』の「嫌文字事」で60ほどの語例を出し、「を・お」「え・へ・ゑ」「ひ・ゐ・い」の仮名遣についての基準を示した。藤原定家の仮名遣いは11世紀後半から12世紀にかけて書写された仮名の作品を基準としたものと見られるが、「ゐ」と「い」については本来は「ひ」である「遂」(つひ)、「宵」(よひ)が「つゐ」、「よゐ」とされ、歴史的仮名遣いで「い」である「老い」(おい)が「おひ」や「おゐ」とされるなど、音韻の変化する以前のものとは異なる表記が採用されたものもあった。 13世紀なかばに入るとイとヰは統合した。ヰが /wi/ から /i/ に変化することによって、イと合流したと考えられている。また漢字音の「クヰ」「グヰ」もそれぞれ /ki/ 、/ɡi/ と発音されるようになり、「キ」「ギ」に合流した。南北朝時代に行阿が『下官集』をもとに仮名遣いの例を増補した『仮名文字遣』(1363年以降成立)を著し、以後この『仮名文字遣』が一般に「定家仮名遣」として特に和歌や連歌など歌道の世界で広く使われたが(定家仮名遣の項参照)、それ以外の分野では「ゐ」「い」および語中・語尾の「ひ」の書き分けについて混用する例がしばしば見られた。16世紀(室町時代後期)のキリシタン資料におけるローマ字表記では、ヰとイはいずれも 「i」 、「j」、「y」で記されており、発音がいずれも [i] だったことがわかる。
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