鎌倉時代から安土桃山時代の文化と女性とは? わかりやすく解説

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鎌倉時代から安土桃山時代の文化と女性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)

日本の女性史」の記事における「鎌倉時代から安土桃山時代の文化と女性」の解説

鎌倉時代に入ると、絵画では男性描写中心となり、女性の描写表情装束などの個性よりも身体的な特徴強調された。たとえば『平治物語絵巻』は絵画の制作命じた貴族主な鑑賞者であるため、上級男性貴族犠牲者として登場せず、犠牲者となる女性通した性差別と、暴虐行為をおこなう武士を描く身分差別がある。『紫式部日記』をもとにした『紫式部日記絵巻』は、男性貴族新興勢力武士に対して自己正当化をするために描かれ男性大きく描き女性平安時代よりも小柄描かれるようになった仏教には肉体対す執着断ち切るための不浄観という修行があり、その思想をもとに死体腐敗して白骨化する様子表現した九相図」という絵画描かれた。僧に男性多かったため、九相図では若い女性肉体選ばれた。女性美貌魅了されていた男性が、女性肉体通して不浄に気づいて出家するという仏教説話多く書かれた。信仰心尊い女性が、自分肉体不浄見せることで男性発心させる物語として機能した中世までの芸能は、白拍子巫女をのぞくと男性専門集団中心だった。中世後期から女性芸能者増えた鎮魂の意味をもっていた念仏踊や、華やかな装いをする風流踊呼ばれる踊りがあり、そこからややこ踊舞台芸能として生まれ少女らによって踊られた。出雲阿国呼ばれる女性が、ややこ踊をもとにかぶき踊を始めたとされ、阿国脇差袖無し羽織など男性格好演じて京中人気呼んだ阿国十字架数珠首飾り覆面を身につけていた伝承もあり、歩き巫女などの遊行芸能近かった。かぶき踊の評判遊郭にも届き六条三筋町では遊女歌舞伎始まった遊女歌舞伎性的な魅力強調して人気呼んだが、のちに徳川幕府によって禁止されていった障害者女性は、芸で生計を得ることもあった。『天狗草紙』(1296)には、東寺門前で鼓を演奏する視覚障害者思われる女性がいる。中世では、群衆が集まる有名な寺社門前こうした女性が芸を披露した推測される室町時代には盲御前めくらごぜ)と呼ばれ、のちに瞽女(ごぜ)と呼ばれるようになった

※この「鎌倉時代から安土桃山時代の文化と女性」の解説は、「日本の女性史」の解説の一部です。
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