道東圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 14:42 UTC 版)
FM-LAB釧路富士通特約店。釧路市旭橋傍(橋北側)に立地する第一エーワンビル(2F)に出店。後に市内堀川町に造られた市内旗艦店舗(後述の「パソコンのイシダ 本店(二代目)」)へ統合移転(引き続き富士通特約店であった為、目立たないがもう一つの店名とされていた)。現在、フロア跡には株式会社アクティブメディカルが入居している。グーグル・ストリートビュー画像 旭町時代の店舗の頃には(NTT釧路支店が開設していた地域BBSであった)丹頂ネットのサーバーが移管・設置され、同ネットの開設時から深く関わっていた同店の社員が管理していた。更に店内には同ネットへのログイン端末が設置されていた。その後、店舗移転時に統合店舗内に移設された。丹頂ネットのサーバーは市内の別のPC販売店に移転その後現在釧路市内のPCシステム開発会社のホームページ内の掲示板に使われている(当該サイトと(「パソコンのイシダ」も含んだ)歴代旧運営組織・団体との繋がりは消失している)。(<現在の丹頂ネット>(パソコン通信BBS方式よりインターネット掲示板方式に移行)) FM-LAB釧路(第三次)パソコンのイシダ倒産後、旧㈱石田電気の取締役の一人が釧路町曙2丁目8番にて起業・経営。旧パソコンのイシダ本店(二代目店舗)旧店長を中心とするかつての旧従業員により、(パソコンのイシダ・チェーンでも店舗名の一部として使用していた)「FM-LAB釧路」を店名に掲げていた(富士通特約店時代店舗を偲ばせる目立った共通点・形跡は特に無い)。主にPCジャンクパーツ等を中心に取り扱っていたが、2012年4月に閉店。この店舗は公式には(株)石田電器と無関係とされていた。 石田電器 本店(初代)前述の市内統合店舗の至近距離に存在。店内にナムコ製テーブル型筐体のTVゲーム機を設置する等、かなり個性的な佇まい・店内レイアウトを持った店舗であった。釧路マイコン博と銘打ったイベントを釧路市民文化会館で主催したり、古くからパソコンに馴染んでいた常連客が多数立ち寄る等、昭和50年代初頭より永い間、釧路市内でのパソコン浸透の牽引役を果たしていた。 現在も同場所に看板が掛かってはいるが一般向けの店舗構えではなく中はよく判らない。グーグル・ストリートビュー画像 市内別所に店舗を構えている パソコンのイシダ 本店(二代目)全道旗艦店・市内店舗の統合店的位置付けだった事もあり、旧来の支店・旧本店店舗とは違い、店内は広い(中規模の食品スーパー店舗位の広さ)。ゲームポート全盛の時代、HOTAS規格にも対応した操縦桿型(フライトシミュレーター専用)入力機器(CH PRODUTSシリーズ等)など当時は一部マニアにしか知られていない様な高額製品なども積極的に取り扱っていた。その他、パソコン関連書籍コーナーも設け、パソコン教室も開催していた。しかし、この店舗建設に伴う投資が後の経営難の要因のひとつとなる。不渡りが出た後も営業を続けていたが商品の入れ替えができず、開店しているか判別がつかないほど照明を絞っての営業だったため、利益を上げるのが難しい状況だった。のちに業務縮小の際、売却。その後、建物は株式会社ぱんどーら(宅配パン屋)の所有・入居し、建物名称も「ぱんどーらビル」に変更。その後は、2014年夏頃より中古自動車店が一時期入居するも撤退。現在は建物も解体され、マンションが建設中である。(建物画像(ぱんどーら店舗入居時)) 店内では各メーカーのPCや周辺機器およびゲームソフトの展示販売の他、「EPSONテクニカルショップ釧路」として90年代初頭までNECとセイコーエプソン社の認定技術者が居てPC本体や周辺機器の自社での修理も行っていた。なお、店内には釧路市内では当時唯一のソフトベンダーTAKERUが設置されていた。 パソコンのイシダ 帯広店(初代)平成4年頃、JR帯広駅から北に徒歩5分ほどの位置に出店(平原通り沿い。初の釧路市外進出店舗)。店内は狭く、開店当初からサプライ製品はあまり充実していなかった。約2年後、二代目店舗へ移転。帯広駅前周辺の再開発で、当時の建物が現存しているかは不明。 パソコンのイシダ 帯広店(二代目)平成5~6年頃(約2年間)、JR帯広駅から西側に徒歩7分ほどの位置に出店(帯広市民文化ホール向かいのビル1階)。店舗形状縦長で、サプライ製品売り場の充実が図られた。移転後、建物には床屋が入居している。 パソコンのイシダ 帯広店(三代目。二代目店舗健在時は旧帯広春駒店)二代目店舗開店の約1年後、JR帯広駅から西側に徒歩15分ほどの位置(春駒通り沿い。同市内西16条南4丁目付近)に立地していた旧そうご電器春駒店(HARUKOMA AV CITY。参考画像(画像表示までに15秒程要する。もしくは、最初に表示される画面の右下「Impatient?」クリックにて即閲覧可能))跡に「帯広春駒店」として出店。二代目店舗の閉店後、帯広店に改称。店内は広くその頃から自作PCなどの販売も本格化する。現在、建物跡には居酒屋が入居している。
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