運河拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 11:55 UTC 版)
パナマ運河の拡張計画は古くから存在し、1939年には新レーンの建設が始まっていたが、1942年には中止されていた(上述)。1960年代に入り、冷戦の激化に伴って太平洋方面への艦船の移動を目的とするパナマ運河の拡充計画が再び現れた。この計画は拡張計画ではなく、海面式の新運河を建設することで運河のネックとなっている閘門の不便さをなくし、輸送可能量を飛躍的に増大させる計画だった。 新運河建設地は各所で検討された。アメリカの大西洋-太平洋間運河調査委員会(APIOSO)は、一時、核爆発を利用した新運河建設を検討したものの見送られ、1970年に現パナマ運河に並行して海面式運河を建設する案をニクソン大統領に勧告した。1970年代に入ると日本の経済的躍進や世界経済の拡大によってパナマ運河の容量不足が徐々に叫ばれるようになり、1982年にはパナマ、アメリカと日本の3か国によるパナマ運河代替調査委員会(3か国調査委員会)が発足したものの、当時のマヌエル・ノリエガ政権はアメリカと不仲であり、この案はいったんほぼ立ち消えとなっていた。 1989年にパナマ侵攻によって、ノリエガ政権が崩壊すると委員会は再び動き出し、1993年に調査報告書を提出した。この報告書では海面式運河は工事コストが高すぎるとして、1942年に中止された第三閘門運河跡を再利用して運河を拡張することが最もコストが軽減されるとの報告がなされた。 1999年のパナマ運河返還によって運河がパナマ政府のもとに戻ると、パナマ政府はこの調査報告書に着目した。この時期には通航量の増大や船舶の大型化の流れを受けて2010年にも受入れ能力の限界が来ると想定されており、運河拡張は急務となっていた。これを受け、2006年に運河拡張計画案がパナマ運河庁より正式に提案され、国民投票により実施されることが決定された。 総事業費52億5千万ドルをかけて2007年9月3日に着工開始し、2014年の竣工を予定し、新たに第3レーンを設け、完成後は現在の2倍の約6億トン(船舶トン数換算)の航行量を見込む。この拡張計画は、現在のガトゥン、ペドロ・ミゲル、ミラフローレスの3閘門をショートカットする形で太平洋側と大西洋側にそれぞれ3閘室の閘門を新設するものである。ガトゥン湖からクレブラ・カットにかけては現在の運河をそのまま使用する。ただし通航量の増大が予想されるため、この区間においても浚渫や拡張を行う。水路が2線となるため、航行用の水量消費も倍増すると考えられるが、ガトゥン湖の浚渫と新水路への節水槽の設置によって、この水量使用増には対応可能とされている。 パナマ政府ホルヘ・キハーノ運河庁長官は、2016年第1四半期に拡張計画が完了すると拡張工事の完成時期を明言した。また拡張によって周辺の生物の生態系や分布が崩れるとの懸念も未だにある。 計画現場の地質が事前調査と違ったり、工期遅延、予算超過、工事労働者のストライキなどの障害を乗り越え、2016年5月31日に竣工し、同年6月26日に完成式典を行い運用を開始した。 拡張工事の完成によって既存の往復2つのレーン(設計閘門サイズ:長さ320m、幅33.5m、深さ25.9m ※深さは閘室毎に違い最浅部で12.55m)に加え、第3レーン(閘門サイズ:長さ427m、幅55m、深さ18.3m)をあわせ、3つの航路が運河通航できるようになった。 この運用開始によって船型制限値はニューパナマックスで拡大され(既存のパナマ運河も併用されるため既存航路を航行する際はパナマックスが適用される)、北米東海岸と北米西海岸、日本、東南アジアなどの海上輸送量増加が見込まれる。船舶と喫水の大型化に伴う物流費と運行日数の削減、排出CO2の低減などの効果があり、スエズ運河などと比べた際の国際競争力が高まった。特に日本では北米東海岸で採掘したシェールガスを日本に輸出する航路として運用するため、LNGの輸送増大が期待されることで最も恩恵を受けるといわれる。 ウィキメディア・コモンズには、パナマ運河拡張に関連するカテゴリがあります。
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