運河沿いの緩勾配ルートの形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:37 UTC 版)
「チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「運河沿いの緩勾配ルートの形成」の解説
1889年、すでに事業停止されていたジェームズ川&カナワ運河の側道に敷かれたリッチモンド・アンド・アレゲーニー鉄道とC&Oが合併した。この合併によって、クリフトン・フォージからリッチモンドへのルートは、従来の急勾配でブルーリッジ山脈を越える北側のルートから、運河に沿った勾配のゆるやかなルートへと変更された。このルートを「ジェームズ川線」といい、現在でも石炭輸送のための重要なルートとして使用されている。 インガルスとスティーブンスは、C&Oを近代的な鉄道へと生まれ変わらせた。道床を砂利敷きとし、トンネルを拡幅して直線化し、橋を鉄橋に架け替え、レールを重軌条化した。車両は、客車も機関車も新しいものとした。 1888年、C&Oはシンシナティ・ディビジョンを設立。ハンティントンからオハイオ川の南岸をケンタッキー州まで下り、オハイオ州シンシナティで渡河し、中西部の鉄道と接続した。
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