資本経済と文化資本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:10 UTC 版)
資生堂の会長であった福原義春は、自らの企業が文化資本経営をなしてきたのだと明言した。電器産業は生活の便利さを資本開発し、それを家電へ商品化し、自動車企業は移動・速度の快適さ便利さを資本開発し、車に商品化した。資本経済の基盤は、文化資本を企業環境とともに構成し、社員の文化資本度を高め、様々な商品開発・技術開発をなして、経済資本を強化していることにある。商品量産による利益は価格逓減競争に陥り、利潤率の低下を招くとマルクスは資本論第3巻で指摘した。マネーがマネーを産むとする「利子産み資本」は、2000年代に入り、利子を生み出さなくなっているだけではない、銀行に預金していると保管手数料で預金は減額していくことがスイスではすでに起きている。利益は、働く者によって生み出される、費用価格を下げることは利益にはならないとマルクスは資本論第3巻で論証している。資本経済は、商品の利潤率の逓減法則に対して限界作用を働かす。 ウォルマートは、台風や自然災害で、店舗が破壊され、社員が困窮する事態を受け、環境配慮への投資をなし、かつ脱炭素化によって電気コストを大幅に下げており、DHLは配達車を全て電気自動車に変え、自身で電気自動車製造をなしており、保険会社は環境投資していない企業との契約は結ばないと、日本企業の環境取り組みの遅れを批判している。これらは、世界チェーン店のスケールが地球規模と不可避に接し、企業外部の環境の生産条件を経済活動へ取り込み、環境に対する企業の文化資本度を高めて、経済利益を増強させている。倫理主義的なエコ活動ではない、実際に損害を被った経済活動に環境活動を組み込んで、限界作用から逆に利益をあげる。環境や文化資本への投資が利潤拡大になることが、費用価格の基準でしか見ないために剰余価値の生産が考慮されなくなって、損失だとみなされているのは、資本経済が考察されていないためだ。 資本経済とは、文化資本を中核にして、環境資本、情報資本、立地かつ活動する場所資本を生かす経済活動総体をなすことだ。ハスケル/ウェストレイクは、『資本なき資本主義』において「触知しえない経済」への投資が増大しているシフトが起きていることを示し、触知しえない四つのSがあると解析する。それは、Scalability(規模性、記憶などの都合やネットワーク構成)、Sunkenness(沈殿)、Spillovers(溢れ出たもの)、Synergy(共働)であるが、商品経済からみての不確かさであり、資本の動きの特徴を示している。物質的アセットは一つの場所、一つの時にしかないが、インタンジブルなアセットは多元的な場所と時間にあるという。スターバックスやコンビニなどは、表層では商品販売店であるよう見えるが、あちこちの場所で小規模にかつある全体性をもって構成されており、本来から商品が売れるのは、それぞれ個別なライフスタイルをなす生活者が、ある文化資本度をもって居住し移動する「場所」があるのであって、消費者一般や商品一般流通があるのではない、諸個人の資本、場所の沈殿的資本、溢れ出たもの、それらの共働へ対応しえているから機能する。市場では諸資本が動いており、それが消費行動を規整している、単純な必要・欲求と充足の関係ではない。 資本のそれぞれの界は固有の動きをなしてかつ相互に関係しあっている。社会世界で代行為者agentsは自分の位置とその位置取りへの態度決定の間で、資本を働かせまた配置換えする、そこに資本経済は存立している。つまり関係行為において資本生産はなされるのであって、物質的生産物を生産する商品経済次元とは本質的に異なる布置にある。データ検索・交通は商品的な関係世界にあるが、情報生成は資本経済の関係世界にある。矢野雅文は、集中型エネルギーの商品化されたエネルギー分配システムより、自律分散型の場所資本・文化資本をふまえた自生エネルギーシステムの方が、場所ごとの測定不可能な環境条件を加味しえる科学技術のホスピタリティ技術適応になると、資本経済エネルギーのあり方を指摘する。商品と資本の逆立した多元的な相応関係が、経済世界の両輪としてレギュレーション作用している。
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