譲渡に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:19 UTC 版)
「東急3700系電車」の記事における「譲渡に至る経緯」の解説
1970年代当時の名古屋鉄道(名鉄)が保有する鉄道車両においては、7000系「パノラマカー」に代表される2扉クロスシート仕様が主流となっており、朝夕の通勤通学ラッシュへの対応は主に長編成化によって行われていた。しかし、1973年(昭和48年)の第一次オイルショックの影響から従来自動車を利用していた通勤客が鉄道利用へ切り替えたことによって利用客が急増したため、収容力の乏しいクロスシート車での運用は限界を迎えつつあった。朝夕ラッシュ時においては、現場のみならず本社の管理部門からも社員を動員し、押し屋として主要駅の乗降ホームへ配置することが恒常化する状況に陥っていた。 当時の名鉄社内は会長職にあった土川元夫を中心としてクロスシート指向が依然として根強かったものの、一方で現場を中心に通勤形車両導入の機運が高まりつつあった折、1974年(昭和49年)3月発行の鉄道事業者業界誌『民鉄旬報 No.96』において東急が本系列2両を含む20両の電車を売却する旨の情報が掲載された。その情報を入手した名鉄役員によって公式議題として役員会議にて取り上げられ、急遽購入が決定した。なお、東急はその後『民鉄旬報』の続刊にて本系列の売却を取り消し、改めて5000系(初代)を売却する旨告知を行ったが、名鉄側は自社3800系と同じく運輸省規格型A'形で、なおかつ搭載するTDK-528系主電動機が名鉄に在籍する自動加速制御の吊り掛け車(AL車)各形式と共通機種であった本系列全車の譲受を強く希望し、譲渡に至った。1970年代当時における大手私鉄事業者間の車両譲渡は極めて珍しい事例であり、趣味者のみならず業界内でも話題にのぼったという。 計画段階においては、3800系を始めとするAL車各形式との総括制御による併結運用および共通運用が検討された。しかし、本系列は前述の通り弱め界磁制御機能を過去に撤去しており、さらに主電動機側の弱め界磁制御用引き出し線が根元から切断・除去された個体も存在するなど、名鉄AL車においては標準仕様であった弱め界磁制御機能の復元が困難であった。加えて本系列の電気連結栓の仕様がAL車各形式とは異なるため、そのままでは総括制御による併結運用が不可能であったことから、併結運用および共通運用とも断念された。従って、名鉄における導入に際しては東急在籍当時と同様に電動車2両と制御車1両を組み合わせた2M1Tの3両固定編成を組成し、1M1T編成を基本としたAL車各形式と比較してMT比を向上することにより、所要の性能を確保することとした。 形式はデハ3700形がモ3880形と、クハ3750形がク2880形とそれぞれ改められ、3880系と呼称された。
※この「譲渡に至る経緯」の解説は、「東急3700系電車」の解説の一部です。
「譲渡に至る経緯」を含む「東急3700系電車」の記事については、「東急3700系電車」の概要を参照ください。
- 譲渡に至る経緯のページへのリンク