譲渡までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 07:59 UTC 版)
「京福電気鉄道デナ500形電車」の記事における「譲渡までの経緯」の解説
阪神831形として1928年に10両が田中車輌で、翌1929年には10両が川崎車輌でそれぞれ製造された(ちなみにデナ21形も同じ年の製造である)。正面は貫通路を備えた平面状3枚窓の形状。優等列車運用に充当され軌道線での乗降運用がなくなった為、客用扉はステップレスで当初よりドアエンジンを装備していた。自動進段制御でモータは4個であったが、電気ブレーキは装備していない。集電装置は当初ポールであったが後にパンタグラフに改められていた。 阪神での大型車の導入は当初普通用の各形式を中心に、性能的にも差のある「ジェットカー」と呼ばれる車両により行われていたが、普通用の置き換えが一段落した1963年から、優等用の各形式への大型車の大量投入により、これら小型車の置き換えが開始された。 一方叡山線では当時小型木造車デナ1形淘汰を控えており、また列車衝突事故の影響で車両不足の状態にあった。しかし乗客は減少傾向にあり、新車の導入などとても望めない状況であったことから、他の鉄道で廃車となった車両を譲り受け、あるいは部品調達で車体新造などが検討されていた。そのような状況の中で、車体も電装品も大改造の必要のないことに加え(軌間1435mm・電圧600Vと同じであり、ポール集電方式に復元可能。車体長さも従来の叡電とほぼ同じ)、無人駅の多い同線で便利な車体端に客用ドアのある同車を譲り受けることとなり、1964年に10両が入線している。
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