譲渡の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 03:35 UTC 版)
阪急の実質的な創業者である小林一三と、目黒蒲田電鉄を母体に後の東急を作り上げていった五島慶太の両人は、1920年に五島が鉄道省監督局総務課長から東急の前身の一つである武蔵電気鉄道の常務に転じて鉄道事業に携わるようになってから、五島が小林を師と仰いで鉄道経営のノウハウを学び、小林も目蒲の役員を務めるなど密接な関係にあった。 目黒蒲田電鉄は、最初の開業区間である目黒駅 - 蒲田駅間全通の翌年である1924年に、山手線及び中央線の架線電圧600Vから1,200Vへの昇圧に際して不要となった中古電車22両の払い下げを受けることとなった。しかしながらわずか15km足らずの区間にこの車両数は当時としては過大であり、余剰分を他の私鉄に譲渡することとなった。阪急でも西宝線の今津駅延長に際し、従来使用していた40形では同形式が小型車であったことから輸送力不足が見込まれたが、支線運用のために新車の投入を見送ることとなった。そこで、縁の深い目黒蒲田電鉄が大量に譲受し、各私鉄に譲渡している鉄道院由来の中古電車を譲受することとなった。
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