阪急90形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 03:35 UTC 版)
阪急90形電車(はんきゅう90がたでんしゃ)は、阪急電鉄の前身である阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄に在籍した通勤型電車で、現在の今津線の旧称である西宝線の延伸に際し、1926年に鉄道省から木造車体の旧院線電車を、目黒蒲田電鉄[1]経由で6両購入したものである。
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- ^ 現在の東京急行電鉄の前身。
- ^ 目黒蒲田電鉄デハ20形(→モハ20形)4両(デハ6260形)、目黒蒲田電鉄デハ30形(初代)8両(デハ6260形)、目黒蒲田電鉄デハ40形10両(デハ6285形7両、デハ6250形3両)。
- ^ 目黒蒲田電鉄の傍系会社で、後の東急東横線の母体となる東京横浜電鉄では1925年から1932年にかけて東横線全線を開通させ、目黒蒲田電鉄においても1927年から1929年にかけて大井町線を開業させているが、このときにはモハ100形やモハ200形といった新造鋼製車を投入している。
- ^ 『関西の鉄道』No,54中の記事では、五島慶太の鉄道省時代のコネクションを生かして大量譲渡に成功したと推測している。
- ^ 譲渡先は駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道の前身)、鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)、福武電気鉄道(現在の福井鉄道)。
- ^ 後のホデ6100形6104・6106・6107→ナデ6100形6104・6106・6107→デハ6250形6254・6256・6257(→目黒蒲田電鉄モハ48 - 50)。
- ^ 後のデハ6285形6285・6289・6290(→目黒蒲田電鉄モハ45 - 47)で、鉄道博物館に保存されているナデ6141と同一形式である。
- ^ 後の東急池上線の母体となった事業者で、1934年に目黒蒲田電鉄に併合されている。
- ^ 池上電気鉄道デハ20形→目黒蒲田電鉄モハ30形(2代)10両(デハ6310形)。
- ^ 90 - 93が端子電圧540V時1時間定格出力34kWのシーメンス・シュケルト社製D-58W/Dを、94・95は端子電圧540V時1時間定格出力40kWのもの(型番不詳)を装架していた。
- ^ 『関西の鉄道』No,54中の記事では、入線当初は同じGE製ながらも元甲武鉄道の電車が取り付けていたC87-Bを搭載という記述がある。
- ^ a b 山口益生『阪急電車』48頁。
- ^ この貨物引継線は、能勢電の軌間1,435mmの2本のレールの間に、鉄道省線の1,067mmの2本のレールを敷いた広狭4線式軌道であった。
- ^ 宝塚線の規格向上工事の完成は1952年9月。
- ^ 今津延長時に路線名を今津線に改名。
- ^ 端子電圧600V時1時間定格出力48kW/720rpm。GE社製GE-263の正規ライセンス生産品。
- ^ a b 山口益生『阪急電車』49頁。
- ^ この改番で、新90 - 93が制御車、新94・95が電動車となった。
- ^ この時期の600形が搭載していた主電動機は、端子電圧600V時1時間定格出力78kW/615rpmのGE社製GE-240AA。なお、阪神急行電鉄ではこれを1時間定格出力82kWとして取り扱っていた。
- ^ この時点でモーターはSE-107EないしはGE-263、制御器はMKに統一。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1989年12月臨時増刊号では、94の火災事故の年月は1947年1月となっている。
- ^ 山口益生『阪急電車』65頁。
- ^ 具体的には、51形より車体長で約1m、車体幅で約100mm大きくなっている。
- ^ 1963年12月の編成表では、95 - 93で2両編成を組んで伊丹線で運行され、92が予備車になっている。
- ^ 当時の塚口駅伊丹線ホームは、現在の夙川駅甲陽線ホーム同様、本線に直角になる形で配置されていた。
- ^ この運用には後に550形が加わる。
- ^ 昇圧は神戸線が1967年10月8日、宝塚線が1969年8月24日
- ^ 550形は1966年に宝塚線に復帰。
- ^ 伊丹線の運用は宝塚線から転入した610系で代替されている。
- 1 阪急90形電車とは
- 2 阪急90形電車の概要
- 3 変遷
- 4 鋼体化後
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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