鋼体化後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 03:35 UTC 版)
鋼体化後の本形式は、伊丹線では2両編成で、甲陽線では2両編成及び単行で使用された。2両編成を組む場合は90 - 91、92 - 93の組み合わせで組むことが多く、このため端数となる95については、予備車扱いとなって営業運転に出る機会が減少した。もっとも、1950年代後半から1960年代初頭にかけての甲陽線では地上設備の制約から本形式と300形のうち電動車で残った316 - 319の2形式しか運用できなかったことから、95が夜間の単行運用に充当されることもあった。また、90 - 91については、1961年に中間部の運転台を撤去して狭幅の貫通路を設け、2両固定編成化された。この結果、95が連結できる相手は両運転台で残った92・93に限られるようになり、運行機会がさらに減少した。1962年1月に1形で最後まで残った32が廃車されると、本形式が阪急で最も車齢の高い車両となった。 1960年代初頭の伊丹線では、塚口駅の構内配線の関係から車両の増結が困難であったため、本形式は96形とともに伊丹線の主力車として、宝塚線から転じた小型車グループの320形・500形(2代目)・550形の各形式や、神戸本線から応援入線する900形・920・800系の17m車グループとともに、朝のラッシュ時には全線複線のメリットを生かして3km前後の区間で6列車運行を行うという頻発運転を実施していた。1963年に316 - 319が廃車された後は、甲陽線と伊丹線で共通運用を組む形式が320・500の両形式が主となったことから、本形式は96形とともに2両編成で伊丹線専用となった。 この時期には伊丹線の輸送力増強を目的として、95を中間車化改造した上で90と91の間に組み込み、3両編成化する計画もあったが、すでに神宝線の架線電圧の1,500Vへの昇圧を控えた時期であったことから、実現には至らなかった。 本形式は、96形や当時神戸線所属の小型車と同様に昇圧対象から外され、西宮車庫の入換車となった93を除く4両は、1965年11月29日付けで休車となり園田駅大阪寄にあった側線に1年ほど留置ののち、1966年11月末に西宮車庫に回送されて同年12月1日付で90 - 92・95の4両が廃車、90 - 91、95の3両は1967年1月末に解体された。92は、車体が西宮車庫で詰所に転用され、しばらく残されていたが後年解体されている。 なお、入換車となった93は、昇圧直前まで入換車として西宮車庫で使用されたため、廃車は昇圧後の1967年10月17日であった。
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