鋼体化グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 00:27 UTC 版)
鋼体化されたグループは、長距離運転に備えて、いずれも車内中央部にボックスシート6組と後位扉と運転台の間に便所を有し、窓配置はd2D12D2dであった。車体の基本寸法、自重はデニ200形と同様で、定員は100人(うち座席52人)である。 1936年に鋼体化されたグループは、鋼体化当初はデ100形(デハ101 - 103)と称していた。デハ101・102は前年に鉄道省で車籍抹消(除籍)となったモニ3形(モニ3009・3010)を、103は1934年(昭和9年)に入線したデ3(旧モハ1020)を種車としている。 木南車輌製造で鋼体化された2両(デハ304・305)は、いずれも自社所有車を鋼体化したもので、旧番号は304がデユ1(← デユニ1 ← デ4 ← 鉄道省モハ1058)、305がデ1(← モハ1023)である。デハ304落成の際に、デハ101 - 103はデハ301 - 303に改番されたものと推定される。 これらは、国有化後も飯田線で使用されたが、1951年から1952年にかけて更新修繕が施行され、後位運転台の撤去および客室化、貫通扉と幌の新設ならびに電装解除が行なわれ、記号が「クデハ」となった。さらに省形電車との併結のため、連結器が密着式に変更され、塗装も窓回りをベージュ、腰板・幕板をえんじ色に変更されている。 1953年の車両形式称号規程改正では、クハ5800形 (5800 - 5804) となったが、1959年(昭和34年)2月に全車が廃車され、私鉄へ譲渡された。 各車の番号の変遷は次のとおりである。 鉄道院デハニ6465(1914年) → デニ6458 → モニ3009(1928年改番) → 三信鉄道デハ101(1936年譲渡・鋼体化) → デハ301(1941年改番) → 鉄道省デハ301(1943年買収) → クデハ301(1951年)→ クハ5800(1953年改番) 鉄道院デロハ6136(1914年) → デハ6370(1925年改造) → デニ6459 → モニ3010(1928年改番) → 三信鉄道デハ102(1936年譲渡・鋼体化) → デハ302(1941年改番) → 鉄道省デ302(1943年買収) → クデハ302(1951年)→ クハ5801(1953年改番) 鉄道院デハ6360(1918年) → モハ1020(1928年改番) → 三信鉄道デ3(1934年譲渡) → デハ103(1936年鋼体化) → デハ303(1941年改番) → 鉄道省デハ303(1943年買収) → クデハ303(1951年)→ クハ5802(1953年改番) 鉄道省デハ33534(1923年) → モハ1058(1928年改番) → 三信鉄道デ4(1934年譲渡) → デユニ1 → デユ1 → デハ304(1939年鋼体化) → 鉄道省デハ304(1943年買収) → クデハ304(1951年)→ クハ5803(1953年改番) 鉄道院デハ6363(1918年) → モハ1023(1928年改番) → 三信鉄道デ1(1933年譲渡) → デハ305(1941年鋼体化) → 鉄道省デハ305(1943年買収) → クデハ305(1951年)→ クハ5804(1953年改番)
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