譲渡そして老人ホーム化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:59 UTC 版)
1973年10月、サンパウロ日伯援護協会(通称:援協)は在サンパウロ日本国総領事館と海外移住事業団を通じて外務省へ「移民の家の家屋を老人ホームとして活用したいので譲渡して欲しい」という要請を行った。「移民の家」は国有財産であったため、譲渡の可否は大蔵省の管轄にあり、外務省は大蔵省へ働きかける事となった。そして翌74年3月20日、大蔵省は移民の家の不動産を無償譲渡することを発表した。さらに海外移住事業団は移民の家の改修費として500万円(約11万クルゼイロ)の予算を組み、改修後に家屋を援協へ譲渡した。同年6月29日、日本国政府から援協へ移民の家の譲渡式が行なわれ、サントスの移民の家は「サントス厚生ホーム」として生まれ変わった。この時に譲渡された不動産の土地面積は約1000平方メートル、床面積は約850平方メートル、時価100万クルゼイロであった。 サントス厚生ホームとして再発足した移民の家は1974年7月1日から活動を開始し、同月14日にはサンパウロにあった援協厚生ホームの入居者31名が職員と共にサントス厚生ホームへ移転して来て本格的な老人ホームとなった。
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