譲渡された先住民族の領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/01 00:17 UTC 版)
「カンザス州の歴史」の記事における「譲渡された先住民族の領土」の解説
一方1853年の夏までに、カンザス東部は間もなくアメリカ白人開拓者に解放されることが明らかになった。連邦議会はインディアン問題担当局のコミッショナー、ジョージ・W・メニーペニーを、先住民族と新しい条約の交渉のために派遣し、4分の1世紀足らず前に先住民達に「永久に」割り当てられた土地を1つ残らず合衆国政府に戻すよう求めた。準州内東部のほとんど全ての種族が、1854年のカンザス準州法が成立する前にその土地の大部分を手放し、結果的に南の、後にオクラホマ州となる地域に移住した。 法案の通過する直前3ヶ月で、条約はワシントンD.C.でレナペ族、オトー族、キカプー族、カスカスキア族、ショーニー族、ソーク族、フォックス族およびその他の種族との間に穏やかに結ばれ、それによってミズーリ州との州境から100ないし200マイル(160 kmないし320 km)内にあるカンザス東部の大部分は突如として白人開拓者に解放された(カンザ族の保留地は既に1846年の条約で減らされていた)。1854年3月15日、オトー族とミズーリ州のインディアンはミシシッピ川の西にある土地で、ビッグブルー川沿いの帯状の土地を除いて全てを合衆国に渡した。1854年、5月6日と10日、ショーニー族は6,100,000エーカー (25,000 km2)を手放し、自分達には200,000エーカー (809 km2)のみを残すことになった。同じく5月6日、レナペ族は条約で定義された居留地を除いて全ての土地を合衆国に譲渡した。5月17日、アイオワ族も同様にその土地を手放し、小さな居留地のみを保持した。5月18日、キカプー族も準州の西部にある150,000エーカー (607 km2)を除いてその土地を渡した。3月30日にはカスカスキア族、ピオリア族、ピアンクショー族およびウィー族の土地も譲渡され、5月18日にはソーク族とフォックス族も手放した。 カンザス準州における先住民族の土地を減らす最後の段階が間もなく訪れ、各種族の全ての土地を取り上げ、その代わりに個人あるいは家族に(単独保有で)小さな区画を渡した。例えば、1854年にチッペワ族(スワンクリークとブラックリバーの集団)はフランクリン郡に8,320エーカー (34 km2)の土地に住んでいたが、1859年にはそれがチッペワ族個別の家族に分けられた。
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