警察道場時代とは? わかりやすく解説

警察道場時代(1955-1974)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:53 UTC 版)

指宿市立図書館」の記事における「警察道場時代(1955-1974)」の解説

1955年昭和30年4月1日には自治体警察であった指宿町警察署の道場だった建物十町241番地)に移ったこの頃図書館県立図書館から移動図書1,000冊と青年文庫50冊を借用し読書グループ育成進めていた。同年9月6日には「母親読書グループ」が成立し図書館グループ育成努めた。この活動評価され、翌1956年昭和31年2月24日鹿児島県図書館コンクール努力賞を受賞9月5日にはNHKの『茶の間時間』で同グループ紹介された。また10月17日には、同グループ図書館協力して文集和』を創刊し1958年昭和33年)から『文芸いぶすき』に改題し指宿市全体文芸作品集へと発展した市立図書館読書グループ育成優良図書館として1957年昭和32年)と1958年昭和33年)に連続表彰され1960年昭和35年11月22日には東京都立日比谷図書館から職員招待して読書グループ研究会開催した県立図書館久保田館長読書グループ活動支援行っており、特に「母親読書グループ」の毎月会合鹿児島市から汽車駆け付け読書グループ会員久保田館長講話目当て休まず参加していたという。当時読書をする女性畑仕事を嫌う者と見なされ、「スロッパ」(怠け者)、「ガッシャサァ」(学者さん)などと呼ばれて冷たい視線浴びたが、図書館借りた本を隠れて読み読書グループでの久保田館長の話を楽しみにして生活していた。特に『アルプスの少女ハイジ』は美し自然と人々の自由の尊さ描かれていたことから、彼女らの心の支えとなっていた。読書怠けているわけでなく、農作業にも役立つものとして住民受容されたのは、アイリス栽培現金収入得て指導的農家になる女性現れるようになってからであり、この時代から10年先のことであった1961年昭和36年5月20日図書館敷地内建物移動した。この建物木造平屋建て床面積は100.65m2であったこの頃図書館指宿市民の意識封建制名残認められる指摘し、これを打破するためにも不読者層開拓目標とした。具体的に女性読書グループや既に風前の灯火となっていた青年学級参加者次世代を担う子供対象読書普及推進した当時蔵書数は9,400冊で、これに県立図書館からの貸出文庫合わせて10,100冊が館内利用可能であった。なお当時郷土資料50冊にすぎず、しかもそのほとんどは南部九州鹿児島県対象とした資料で、指宿市に関する図書ごくわずかであった職員は5人で、館長を含む2人兼務という状態だったが、指宿市今和泉支所分館を置き、巡回文庫配本所27か所設置していた。配本所児童図書親子20読書利用することを前提したものであった1963年昭和38年)度の本館利用者数は11,431人、本館貸出冊数11,856冊、延配本冊数16,850冊、配本所貸出冊数17,606であった1967年昭和42年)頃から幼児への読み聞かせ活動活発化した。

※この「警察道場時代(1955-1974)」の解説は、「指宿市立図書館」の解説の一部です。
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