誘拐と殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 02:35 UTC 版)
ロイ・ブライアントがその話を聞かされた後、店に入って来た若い黒人たちにその事についてうるさく聞きまわった。その日の夕刻、ブライアントは、J.W.ワシントンという黒人と共に、道を歩いていた若い黒人たちに尋ねまわった。ブライアントはワシントンに命じ、道を歩いていた一人の若い黒人を捕まえて、小型トラックの荷台に押し込め、ティルとの出来事を目撃した、キャロラインが名前の分からないもう一人の黒人の身元を聞き出した。ブライアントとワシントンが捕まえたその黒人青年については、友人か両親がブライアントの店で彼の保証人となり、またキャロラインの仲間は、その黒人青年がキャロラインに近寄って話しかけた人物ではないと否定した。そうこうしながらも、ブライアントは若い黒人の男(ティル)がシカゴから来て、モーセ・ライトの家に泊まっている事を聞きつけた数名の証言者の情報によれば、ブライアントと彼の36歳の兄弟ジョン・ウィリアム(J. W.)ミランが、モーセ・ライトの家からティルを誘拐する事について議論しているのを耳にしたと言う事である。 1955年8月28日(日曜日)の午前2時から3時にかけて、ブライアンとミランともう一人の男(恐らくブライアントに雇われたと思われる黒人)が、モーセ・ライトの家に車で乗り付けた。ミランは拳銃と懐中電灯を携帯していた。彼はライトに、家の中にシカゴから来た3人の少年がいるか尋ねた。ティルは二人の従兄弟たちと同じベッドで休んでおり、その小さな2人用のキャビンには合計8人が休んでいた。ミランはライトに「(キャロラインに)話しかけた黒ん坊」のところに案内しろと要求した。彼らが事実関係を確認したところティルが「ああ」と答えたので、彼を撃つと脅迫して、服を着るように命令した。男たちは、「見ている事を話せば殺す」とライトを脅迫した。ティルの大叔父ライトは、現金を渡すから許してほしいと頼んだが彼らは応答しなかった。男たちはティルを小型トラックの荷台に押し込め、ミシシッピーの片田舎ドリュー(英語版)の、クリント・シャーデン農場まで走り去った。ティルはピストルの柄で殴りつけられ、再びトラックの荷台に押し込められ、防水布を被せられた。その日の夜まで、ブライアントとミランは、ティルと共にいる所を数箇所に渡って目撃されている。数名の目撃者の証言によれば、彼らはティルをグレンドーラ(英語版)の近くのミランの家の裏の納屋に連れて行き、そこで再び彼を殴りつけ、その後どうするか話し合った。ティルが座っている小型トラックの周辺を、2人から4人の白人と4人の黒人の男たちがうろついていたとの目撃証言がある。ミランの納屋の前を通り過ぎた者が、人が殴られる様な音を聞いている。ティルが、ミランの納屋か、又はタラハシー川(英語版)のどちらの時点で射殺されたかについては異論がある。彼はブライアントの店まで車で連れて行かれ、そこでトラックの荷台に大量の血液が溜まっていると数人が連絡してきた。ブライアントは鹿を殺したと彼らに説明したが、一つの例として彼に質問した黒人にその死体を見せ、「利口な黒ん坊はこうなるのさ」と言い放った。 ああ、俺たちが他に何をしようとしたかって?もう奴には希望がなかったね。俺は弱いものいじめなんかじゃないさ、俺は自分の人生で決して黒ん坊なんか痛めつけた事はないぜ。俺は黒ん坊は好きさ、奴らがその中にいる限りはな、俺はそのやり方を知ってる。だがな、何人かの奴らには注意しておかなきゃいけない時だと決めたのさ。俺が生きている限り、黒ん坊はその中にだけいる事になるのさ。俺がいる所じゃ、黒ん坊に選ぶ権利なんかないぜ。もしそうなったら、奴らが国を動かす事になるだろう。奴らは俺の子供たちと一緒に学校になんか行かない。そして、もし黒ん坊が白人の女に言い寄って手を出そうなんて考えたら、そいつは生きるのが大変さ。俺はそいつを殺すかも知れない。俺と仲間はこの国の為に戦って、そして正義を勝ち取ったのさ。俺は涙してそこに立ちながら、黒ん坊が俺に毒を投げつけるのを聞いたのさ、そして決めた。「おい、シカゴボーイ」俺は言ったのさ、「お前がトラブルを起す為にここに送ってきたお前の仲間には呆れ返ったぜ」馬鹿野郎!俺は仲間と一緒にみんなが分かる様な例えを作ってやるぜ。 J. W. ミランのインタビュー 、Lookマガジン1956年 1956年の雑誌Look Magazineに掲載された、アメリカ人記者ウィリアム・ブラッドフォード・ヒューイ(英語版)のインタビューの中で、ブライアントとミランは、意図的にティルを殴打して、さらにティルを怖がらせるために、築堤から川に放り込んだ事を認めた。しかし、殴打されている間もティルは「この野郎」と反抗して、さらにティルは(白人と)平等だと主張し、過去に白人女性と関係があったと言ったとミラン達はヒューイに話している。その後ティルをトラックの荷台に押し込み、70-ポンド (32 kg)の綿搾り機の回転翼部分だけを盗み(まだ辺りが明るかったので、盗みが見つかるのではないかとためらった、唯一の時である)数マイル川岸を運転し、ティルを捨てる場所を探し続けた。そして川岸でティルを射殺し、回転翼の重りをくくりつけた。 モーセ・ライトは家の前庭のポーチで、ティルの帰りを20分間待ち続けた。その後も彼はベッドには戻らなかった。彼とマネーの町の男たちはガソリンを買い、周辺を運転し続け、ティルを探し続けた。しかしティルを見つけ出す事は出来ず、朝8時に帰宅した。 カーティス・ジョーンズは、ライトから、命の危険があるため警察に通報できないと聞かされた後、「レフロア郡」保安官他に連絡し、カーティスの母親はヒステリックにシカゴのティルの母親に電話した。 ライトと彼の妻も、エリザベス・ライトの兄が連絡を取った保安官のいるサムナー(英語版)まで運転して来た。ブライアントとミランは、レフロア郡保安官、ジョージ・スミスから事情聴取された。彼らは、ティルを大伯父の下から連れ出した事は認めたが、その夜の内にブライアントの店の前で解放したと主張した。ブライアントとミランは誘拐の容疑で逮捕された。ティルが行方不明になった事が知れ渡り、直ちにミシシッピー州はNAACP会長のメドガー・エヴァーズ及び、同協会ボリバー郡主任で、後に綿摘み農夫に変装して綿花地域に入り込みティルの捜索に尽力するアムジー・ムーア(英語版)に通報した。
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