若草山の山焼き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 21:16 UTC 版)
毎年1月に若草山の山焼きが行われる。東大寺と興福寺による領地争いを、双方立会いの上で焼き払って和解したのが発端ともいわれてきたが、近年、両寺に明治時代まで続けられてきた記録に記載はなくその説は否定されることも多い。江戸時代に、三重目の頂上にある鶯塚古墳の慰霊だと民間人により火を点けられることが多く、さらに毎年1月頃までに山を焼かないと、なにか不幸ごとが起きるとの迷信が蔓延りいっそう火点けが盛んになった。そのため、東大寺境内に火が迫ることも再三で、元文3年(1738年)12月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の触れを出し高札を立てた。しかし効力が無く勝手な火点けはやまず、火災被害が周囲寺社などに及んだ。それで幕末に東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って鶯塚古墳の鎮魂を含めて山を焼くようになった、との説が有力になっている。冬季の恒例行事となっており、その写真は、奈良を代表する写真として紹介されることも少なくない。江戸時代以前からも行なわれていたらしいが、正式行事となったのは明治になってからで、夜間に行なわれるようになったのは明治後半からである。なお昭和戦前には紀元節(現建国記念の日)の2月11日に行われていたという。太平洋戦争後は、長らく1月15日の成人の日に行なわれていたが、ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年~2008年は成人の日(第2月曜日)の前日(日曜日)に変更になった。しかしそれでは日程がわかりにくく、以前より時期が早くなってススキやシバなどの枯れ方が不足して燃えにくい上、年によっては消防出初式の時期に近くなってしまい(山焼きには多くの消防団員の手が必要となる。民間人である消防団員の大量動員は休日であることが必要。)1月の第3土曜日(最も早い場合は15日になる)への変更が計画された。ところが、花火の打上の時間帯が大学入試センター試験の英語ヒアリングと重なることで、大学関係者からの抗議を受けたため、もう一週間後ろにずらし2009年~2015年は1月の第4土曜日に実施されている。なお正式日が天候不順の場合は、翌週あたりに順延されている。 例年、午後6時前後から本焼きが始まるが、その直前の約10分間(2010年は15分間)は花火が若草山1・2段目から打ち上げられる。また当日の昼間にも関連アトラクションが奈良市内で行なわれるのが通例である。ただし昭和天皇崩御直後の1989年は、花火・アトラクションは中止となった。山が本格的に燃え続けるのは、開始後30分~1時間くらい(年によって異なる)。午後9時前後に最終鎮火確認が消防団員によって行なわれる。燃焼はその年の芝の生育状況、当日の天候により大きく左右される。山焼きを実施したものの、雨等でよく燃えないこともあった(1988年や2008年等)。また過去には、異常乾燥が続いたり、雨続きで行事自体が中止になることもあった。燃え残りが発生した場合は、後日の昼間に再度燃やされている。 山焼きが1月15日であった頃には、小正月行事として若草山麓に奈良市内の家庭から正月の注連飾りなどを持ち寄って「とんど」として燃やすことも行われていた。ハッピーマンデー以後は日程が合わないため注連飾りの焚き上げについては春日大社が1月15日以降の土曜日に「春日の大とんど」として飛火野に火炉を設置して実施してきた。第4土曜日に変更されて以後は、春日の大とんども山焼きと同じ日に実施されている。
※この「若草山の山焼き」の解説は、「若草山」の解説の一部です。
「若草山の山焼き」を含む「若草山」の記事については、「若草山」の概要を参照ください。
- 若草山の山焼きのページへのリンク