芝ヶ原古墳とは? わかりやすく解説

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芝ヶ原古墳

名称: 芝ヶ原古墳
ふりがな しばがはらこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 城陽市寺田
管理団体
指定年月日 1989.09.06(平成1.09.06)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 城陽市北部には古くから久津川古墳群の名で知られ古墳群所在する。この古墳群は、5世紀代を中心として築造されたもので、山城最大前方後円墳である久津川車塚はじめとして大小90基近い古墳により構成される
 芝ケ原古墳群は久津川古墳群の一支群をなし、久津川車塚の約500メートル南から西へかけて分布する13基の古墳により構成される芝ケ原古墳群の1号墳から9号墳までは、2基の前方後円墳と7基の円墳からなり、これらは現状保存されている。10号墳11号墳は、造り出しをもつ大形円墳粘土槨をもち、11号墳からは三角縁神獣鏡出土しており、これらは、宅地開発により記録保存措置がとられている。13号墳は方墳であり、現状保存されている。
 今回指定する芝ケ原古墳ケ原12号墳)は、ケ原11号墳の東北200メートル位置しており、昭和61年6月から8月にかけて、城陽市教育委員会によって発掘調査された。
 墳丘平面形は、南北21メートル東西19メートル方形部の南辺に突出部を有する前方後方形をなす。突出部の大半道路により削平されているが、くびれ部幅は11・6メートル復原でき、突出部は長さ3・5メートル以上となる。墳丘は、自然地形の低い北側では地山削って裾とし、東は溝によって区画している。墳丘盛土整地された旧地表面上に行い盛土厚さ現状では2メートル残存している。
 内部主体盛土彫り込んで墓壙を作り、墓壙内に組合せ木棺直葬する。木棺復原長は3メートル復原0・8メートルである。墓壙上面には、礫が敷かれており、礫敷の中から壺や高杯などの供献土器出土した木棺内の遺物は、の北木口付近から、四獣形鏡1面銅釧2個、硬玉勾玉8個、碧玉製管187個、ガラス小玉1276個が出土し南側で〓(*1)・錐が出土している。
 礫敷から出土した土器は、いわゆる庄内式」に属するものである。壺は二重口縁をもち、口縁部波状文・横線文・円形浮文施し体部上半波状文・簾状文横線文・山形文を施すものがあり、いわゆる庄内式」の中でも古い様相をもっている。
 木棺内に遺物としては、銅釧注目される銅釧腕輪としての丸い輪の部分に、放射状72本の筋をつけ、筋の先端は1本間隔ごとに突起をなす。本銅釧の筋の形態及び周縁形態は、日本出土銅釧車輪石のうち、カサガイの形を最も忠実に模したもので、古い形態の特徴をよく留めている。
 鏡は、内区に4個の円座乳を配しその間半肉彫り文様化された獣形配する四獣形鏡である。右回り巻き込む部分頭部湾曲胴部からのびるS字状の文様を足とみると、竜虎模した〓(*2)製四獣形鏡となる。
 以上のように、芝ケ原古墳前方後方形をなす出現期の古墳であり、副葬品として外縁突起をもつ銅釧出土したことに特徴がある。出現古墳のうちで重要であるので、史跡として保存図ろうとするものである
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芝ヶ原古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 00:40 UTC 版)

芝ヶ原古墳

墳丘
(右に後方部・くびれ部、左の道路に前方部欠失部)
別名 芝ケ原古墳/芝ヶ原12号墳
所属 久津川古墳群(芝ヶ原古墳群)
所在地 京都府城陽市寺田大谷
位置 北緯34度51分45.89秒 東経135度47分0.81秒 / 北緯34.8627472度 東経135.7835583度 / 34.8627472; 135.7835583座標: 北緯34度51分45.89秒 東経135度47分0.81秒 / 北緯34.8627472度 東経135.7835583度 / 34.8627472; 135.7835583
形状 前方後方墳
埋葬施設 組合式木棺直葬
出土品 副葬品多数・土師器
築造時期 3世紀中葉
史跡 国の史跡「芝ヶ原古墳」
有形文化財 出土品(国の重要文化財
地図
芝ヶ原古墳
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芝ヶ原古墳(しばがはらこふん、芝ケ原古墳/芝ヶ原12号墳)は、京都府城陽市寺田大谷にある古墳。形状は前方後方墳久津川古墳群(うち芝ヶ原古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

概要

京都府南部、城陽市北部の丘陵上に築造された古墳である[1]。一帯では久津川車塚古墳を始めとする久津川古墳群が分布し、その支群の芝ヶ原古墳群を構成する古墳の1つ(芝ヶ原12号墳)になる[2]1986年昭和61年)に宅地開発に先立つ発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後方形で、前方部を南に向けたが、現在では前方部は削平されている(残存長は21メートル)[1]。墳丘の段築は認められておらず、墳丘外表で葺石は認められていない[1]。また墳丘周囲には周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は組合式木棺の直葬で、木棺は長さ3メートル・幅0.8メートル[2]、木棺を埋納した土壙は長さ4.7メートル・幅2.5メートルを測る[1]。木棺内からは銅鏡・銅釧・玉類などの副葬品が出土しており[1]、特に銅釧の出土は珍しい例として注目される[3]

築造時期は、古墳時代初頭の3世紀中葉[3](または3世紀前半[4])頃と推定される。南山城地方では椿井大塚山古墳に先行し、当時としては一帯で最有力の首長墓の1つに位置づけられる[1]

古墳域は1989年平成元年)に国の史跡に指定され[5]、出土品は1990年(平成2年)に国の重要文化財に指定されている[6]。現在では史跡公園として整備されたうえで公開されている。なお、2016年(平成28年)には久津川車塚古墳などの古墳4基を包括する国の史跡「久津川古墳群」が指定されたが[7][8]、本古墳はこれには含まれていない。

遺跡歴

  • 1986年昭和61年)6-8月、宅地開発に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、1987年に報告)[5]
  • 1989年平成元年)9月6日、国の史跡に指定[5]
  • 1990年(平成2年)6月29日、出土品が国の重要文化財に指定[6]
  • 20082009年度(平成20・21年度)、史跡整備に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、2014年に報告)。
  • 2012年(平成24年)1月24日、史跡範囲の追加指定[5]
  • 2012年度(平成24年度)、史跡整備に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、2014年に報告)。

墳丘

後方部墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 後方部
    • 南北:21メートル
    • 東西:19メートル
  • 前方部
    • 長さ:約3.5メートル
  • くびれ部
    • 幅:11.6メートル

出土品

四獣鏡
城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)展示(他画像も同様)。
銅釧

木棺内から出土した主な副葬品は次の通り(いずれも北小口付近から出土)[1][2]

  • 四獣形鏡 1面 - 仿製鏡で、直径12センチメートル。
  • 銅釧 2点 - 同笵。
  • 硬玉製勾玉 8点
  • 碧玉製管玉 187点
  • ガラス製小玉 1,276点
  • ヤリガンナ 1点

以上のほか、墓壙上面の礫敷からは供献土器片として二重口縁壺4点・高坏1点などの庄内式土器が出土している[1][2]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 京都府芝ケ原古墳出土品(考古資料) - 内訳は後出。城陽市歴史民俗資料館保管。1990年(平成2年)6月29日指定[6]
国の重要文化財「京都府芝ケ原古墳出土品」の明細
  • 銅釧 2箇
  • 四獣鏡 1面
  • 玉類
    • 硬玉勾玉 8箇
    • 碧玉管玉 187箇
    • ガラス小玉 残欠共 一括
  • 鉄鉇 1本
  • 鉄針残欠 一括
  • 鉄鏃残欠 1本
  • 土師器残欠 一括
  • 附 土師器残欠・埴輪残欠 一括

国の史跡

  • 芝ヶ原古墳 - 1989年(平成元年)9月6日指定、2012年(平成24年)1月24日に史跡範囲の追加指定[5]

関連施設

  • 城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)(城陽市寺田今堀) - 芝ヶ原古墳の出土品を展示。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 京都府埋蔵文化財情報 第104号 2007, pp. 36–37.
  2. ^ a b c d e 国指定史跡ガイド.
  3. ^ a b 国指定の史跡・重要文化財 > 芝ケ原古墳(城陽市観光協会)。
  4. ^ 史跡 芝ヶ原古墳(城陽市教育委員会)。
  5. ^ a b c d e 芝ヶ原古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ a b c 京都府芝ケ原古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 「史跡等の指定等について」 (PDF) (文化庁記者発表、2016年6月17日)。
  8. ^ 平成28年10月3日文部科学省告示第144号。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板
  • 「芝ケ原古墳」『京都府埋蔵文化財情報 (PDF)』104号、京都府埋蔵文化財調査研究センター、2007年、36-37頁。  - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
  • 芝ヶ原古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 和田晴吾「芝ケ原墳丘墓」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 『芝ケ原古墳』城陽市教育委員会〈城陽市埋蔵文化財調査報告書第16集〉、1987年。 
  • 『芝ヶ原古墳発掘調査・整備報告書』城陽市教育委員会〈城陽市埋蔵文化財調査報告書第68集〉、2014年。 

外部リンク



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