精神医学・臨床心理学の発展
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「フランス革命」の記事における「精神医学・臨床心理学の発展」の解説
臨床心理士、人間科学修士である高橋豊はフランス革命について 「精神病者の解放」は、過激な理想主義に基づく「恐怖政治」の産物とも言えるのではなかろうか。 と述べている。高橋が言うには、それまで「悪魔に取り憑かれた者」・「狂人」・「社会的廃人」・「廃疾者」などとして宗教的・社会的差別を受けてきた人々は、近代化と共に、自由と人権を持つ精神病者として「法制化」されていった。この動きは、フランス革命という「歴史的大激動」と繋がっている。 「科学革命」、「産業革命」、「社会的分業」、「世俗化」、および「政教分離」も参照 高橋の自著における「フランス革命と精神医療制度」の章によれば、学界は「近代精神医学の創始者」をフィリップ・ピネルだと考えている。ピネルは若い頃に勉学を続ける中でルソーやヴォルテールの啓蒙主義に触れ、1767年22歳の時に大学入学し医学・数学・神学を修め、1773年に医師資格を取って卒業した。フランス革命中の1793年8月、ピネルはパリの市民病院行政局によってビセートル国立救済院の院長に任命され、ピネルは公人としての活動を始めた。救済院には精神病者を隔離する「病監」があり、ピネルはそこの医長として2年間在任した。赴任直後のビセートルは、ピネルによれば以下の惨状だった。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}一方では、極めて狭く、冬の極寒や夏の灼熱の暑さを体験するにはうってつけの院内、動物小屋にも似た病室、著者の再三の要求にもかかわらず、入浴は全くなされないままであった。精神病者を教養的活動や種々の運動に参加させるための特別な場所や木陰の場所もなく、マニー〔躁病〕の亜型や程度に応じて患者を隔離し、種々に分離することが不可能であったことなどである。 ビセートルで医長を務める間にピネルは「精神病者の鎖からの解放」を行ったとされており、これがピネル神話を生んだと言われる。 ピネルは以前から革命的勢力(「ジロンド派憲法」の起草者だったコンドルセなど)と親交があり、彼は病院行政局と共に革命政府に接触し、「精神医療改革」の許可を得ている。当時の責任者ジョルジュ・クートンを中心とする革命政府はピネルの主張を認め、精神病者の解放を自由に行わせた。 この頃は既に恐怖政治の真っ最中であり、革命政府は多くの密告者と監視網を使っていた。反政府的な者が暴き出され、粛清されることは日常化していた。言い換えれば、ピネルの「精神病者の解放」が達成された理由は、それが革命政府の方針と一致していたためだった。高橋はこう述べている。 「ジャコバン派」の政策の目標は、「基本的人権」と「社会的平等」の実現であり、特に「抑圧された人々」の「基本的人権」を保障するための「解放闘争」の意味合いを強く持っていた。そして、すべての人民に「基本的人権」を平等に与えるためには手段を選ばないという「急進的平等主義」が政治信条となっていた。こうした「急進的平等主義」がそのまま「精神病者」にも適用され、「精神病者」の「基本的人権」の保障という形で、「鎖からの解放」が実現したものと考えられる。逆に言えば、「ジャコバン派」の「過激な平等主義」がなければ、果たして精神病者の「鎖からの解放」が実現したであろうか、その点はかなり疑問である。社会の底辺にいる人々にも平等の「権利」を与える「解放闘争」の理念が、社会的に抑圧されていた「精神病者」の解放を目指すピネルの主張と合致したために、「革命政府」はピネルの「改革」を公認したものと思われる。 革命の「理性の祭典」と関連して、1795年にビセートル病院のピュサンと事務官たちは、宗教的支配を除去するため精神病患者たちへ命じて、宗教関連の彫像・絵画を中庭に放り出させた。しかし信心深い患者たちは恐怖や怒りで混乱し、神罰が下ると信じた。そこでピュサンは「迷信を打破する」ために患者たちへ呼びかけて、宗教的な品々を粉砕させた。患者たちの中でも一部のカトリック系キリスト教徒たちは怒って病室に引きこもったが、大部分の患者たちはそのような脱宗教化・世俗化を支持するようになった。このような彼らの「改革」はさらにピネルの弟子エスキロール、その他G・フェリュスやG・P・ファルレなどによって継承され、1838年6月30日の「共和国法」に至った。 共和国法は、当時としては画期的な福祉法だった。同法は精神病者に対し 公的介護の義務 入院制度 精神病による不利益から患者自身の人権を保護すること 等をも規定していた。後に共和国法は他の国々から模範とされ、現代日本の「精神保健福祉法」にも大きく影響している。
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