米海兵隊上陸とは? わかりやすく解説

米海兵隊上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:13 UTC 版)

第一次ソロモン海戦」の記事における「米海兵隊上陸」の解説

ソロモン諸島の戦い」も参照 日本海軍軍令部ニューカレドニアフィジーサモア方面への進出作戦であるFS作戦をたてたが、1942年昭和17年6月発生したミッドウェー海戦における大敗北により、FS作戦延期された。トラック諸島防衛失った空母航空兵力を補うため、日本軍井上成美中将第四艦隊司令長官)の進言により、ガダルカナル島にルンガ飛行場建設し8月5日戦闘機30艦載機30進出予定8月15日には1個航空戦隊の収容が可能となるはずだった。実際第十設営隊岡村徳長少佐7月末に一部滑走路完成する報告して日本軍戦闘機進出要望している。これは「ソロモン諸島ニューギニア島東部における航空基地獲得設営のための作戦SN作戦)」の一環だった。またポートモレスビー攻略を行うレ号作戦やリ号作戦開始しようとしていた。7月26日第四艦隊第八艦隊旗艦鳥海三川軍一中将)に外南洋方面受持警戒区域引継ぎ行ったが、井上下司令部は「米軍は外南洋島伝いには来ない」と断言したラバウル第八根拠地隊司令官金沢正夫中将も、第八艦隊井上同様の見解示した第四艦隊思い込みとは対照的に連合国軍は同方面重要視ガダルカナル島日本軍飛行場建設されれば、アメリカオーストラリア連絡遮断される恐れがある判断する連合国軍絶対防衛圏の死守ソロモン諸島奪還するための足場確保東部ニューギニアの戦い間接的支援のため、ミッドウェー海戦後ソロモン諸島サンタクルーズ諸島奪還確保研究された。7月の上旬にはフランク・J・フレッチャー中将指揮空母三隻(エンタープライズサラトガワスプ)、戦艦一隻ノースカロライナ)、重巡洋艦5隻(ニューオーリンズミネアポリスポートランドサンフランシスコソルトレイクシティ)を基幹とする空母機動部隊リッチモンド・K・ターナー少将指揮の約19,000からなる海兵師団巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊支援艦隊がフィジー諸島集結した1942年昭和17年8月7日早朝アメリカ軍海兵隊約3,000名を主力とするアメリカ軍ガダルカナル島および対岸ツラギ島奇襲上陸した。これに対しツラギ日本軍守備隊偵察部隊飛行艇であった横浜海軍航空隊要員含めてわずか400名にしか過ぎず奇襲受けた日本軍守備隊は0420(4時20分、以下時間数字表記)に敵を「空母1隻、重巡4隻を含む20隻以上の機動部隊を含む上陸部隊」と通報した上で、この海域警備担当するために同年7月14日新設されたばかり第八艦隊至急救援要請した。さらに0535には「戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦15隻、輸送船多数」を報告した。だが兵力差は圧倒的であり、0610に駐留していた横浜空司令からの「敵兵力大、最後の一兵まで守る、武運長久を祈る」との打電最後に連絡途絶し守備隊その日夕刻玉砕した。これによりフロリダ諸島の戦い終わった。ほぼ同時刻にガダルカナルにもアメリカ軍上陸し飛行場建設のために駐留していたガダルカナル島日本軍守備隊は、情況連絡する余裕もなくガダルカナル島内陸部西方撤退した宇垣纏連合艦隊参謀長は「米軍機部隊含めた大部隊が接近していたのに、なぜ現地軍は発見できなかった」と著作中で嘆息している。

※この「米海兵隊上陸」の解説は、「第一次ソロモン海戦」の解説の一部です。
「米海兵隊上陸」を含む「第一次ソロモン海戦」の記事については、「第一次ソロモン海戦」の概要を参照ください。

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