米国の銃規制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 05:41 UTC 版)
「アメリカ合衆国の銃規制」も参照 米国で銃規制が本格的に始まったのは、1993年にブレイディ法が制定され、銃販売における審査期間の設置や登録制度の制定、翌1994年には半自動小銃等の連射性があって危険度の高い銃器の輸入・販売が規制された。 この銃砲規制に関しては、米国のフロンティア精神を基盤とする全米ライフル協会(NRA)の強固な反対(歴代大統領の中にも、同協会メンバーが少なくない)もあったが、同協会メンバーでもあった、時の大統領ロナルド・レーガンが狙撃された事件で、重傷を負ったジム・ブレイディ補佐官とその妻サラの活動が実を結んだわけだが、これも米国の銃社会問題を解決するに至らず、1999年4月20日にはコロンバイン高校銃乱射事件が発生、未成年のスプリー・キラーによる銃犯罪として全米で注目を集め、拳銃の販売可能年齢を18歳から21歳に引き上げるとともに、ダイナマイト等の危険物の販売も銃同様に厳重な規制が検討された。 この銃問題に関して、正式な所有者以外が銃を使えないようにするロック装置の開発と取り付けの義務化を求める法案も提出されるが、NRAに関連する議員の反対は根強く、採択は難航している(スミス&ウェッソンは2008年から自主規制により、銃とペアになった鍵による安全装置が組み込まれた回転式拳銃を開発販売し始めた。シリンダーラッチレバーの下に鍵穴があり、これを操作することで引き金が引けなくなる構造)。 また、日本では、アメリカの全ての地域で銃が流通しているように報道されることが多いが、実際には地域差が大きい。また、数字上は銃が流通している地域でも、自然が多く残されており、野獣駆除や食糧調達のために銃が必要な地域(ワイオミング州やカリフォルニア州、アラスカ州など)では銃犯罪は少なく、逆に伝統的な自衛目的(つまりネイティブ・アメリカンの退治目的)で銃を所持することが多かった州(イリノイ州やバージニア州、コロラド州など)は、現在には銃による殺人件数が多い傾向があるとされる。2007年4月16日には、バージニア工科大学で同大学に在籍する学生が銃を乱射、32人の犠牲者を出し、米国史上最悪の銃乱射事件(バージニア工科大学銃乱射事件)となった。しかもその学生は乱射に使用した銃を合法的に購入したことが判明している。 米国は全世界から移民が流入して誕生した国家であり、建国当時の「自分の身は自分で守る」という精神が多くの米国民の中に根強く残っている。そのため、多くの米国人は銃を手放すことを、「いわば全裸の状態であり、自分の身を自分で守れなくなる」と恐れる。その際、「あなたが強盗するとしたら、銃で武装している家と銃を置いていない家、どちらを標的に選ぶか」というのがよく例に出される。バージニア工科大学事件後に米ABCテレビが実施した世論調査によると、「このような銃犯罪が起きてしまうのはなぜか?」との質問に対し、「子どものしつけの問題」という回答は半数近くにのぼったが、「銃が簡単に手に入るため」という回答は約2割にとどまった。また、歴史的にアメリカの象徴的意味合いもあり、日本人の感覚で例えると、日本刀の保有を、許可制度に至るまで廃止して一切禁止されることに近い。アメリカ同時多発テロ事件直後、非常用品とともに、銃器の売り上げが増加した。 こうした米国民の潜在的な銃に対する意識に加え、警察署から自宅まで田園部の広大な距離、狩猟などで生計を立てている者や、熊やピューマのように人間に直接害を及ぼす大型野生動物出没地域に生活する者もいるという自然環境、また趣味としての射撃や狩猟や武装権も社会的に認められている事情がある。加えてNRAの発言力は、その資金力ゆえに非常に強大であり、同時多発テロ以降、アメリカ合衆国連邦政府でも銃規制についての議論自体がタブー同然とされている(NRAに嫌われる事、即ち会員の支持を失う事を意味する)。以上のことから、米国の銃規制はなかなか進まない。 2019年1月から2月にかけて、イリノイ州シカゴ市で押収された違法な銃器類の数は1,600丁以上となっており、都市部においては依然として相当数の銃が存在していることを示している。
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