神がかり
『日本書紀』巻5崇神天皇7年2月 崇神天皇が八十万(やそよろづ)の神々を招き占いをして、様々な災いのわけを知ろうとした。大物主神が倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)に神がかりして、「我を敬い祭れば、国はおのずから平らぐだろう」と告げた。
『日本書紀』巻6垂仁天皇25年3月 倭大国魂神が大水口宿禰にかかって「先帝崇神は、神祇を祭るに不適切なところがあったために、短命だった。今、汝(垂仁天皇)は、正しく祭れば命長く天下太平であろう」と教えた。
『日本書紀』巻15顕宗天皇3年 2月1日に月神が、4月5日に日神が、それぞれ人にかかって、祖神高皇産霊の功を述べ、田地を奉るよう求めた。
『日本書紀』巻28天武天皇元年7月 高市県主許梅が神がかり状態になって、「我は高市社の事代主神である。また、身狭社の生霊神である」と告げ、「西の道から軍勢が来る。注意せよ」と教えた。村屋神も、神官に神がかりして「我が社の中道から軍勢が来る。道を塞げ」と教えた。
『日本霊異記』下-31 美濃国方県郡の女が石2つを産んだ。隣の淳見郡の大神伊奈婆が、卜者に乗り移って「その2つの石は我が子なり」と告げたので、忌籬を設け石を祭った。
*伊奘諾(いざなき)神のお告げ→〔いれずみ〕1の『日本書紀』巻12履中天皇5年9月18日。
★2.神がかりによって、死者がでる。
『英霊の声』(三島由紀夫) ある夜「私」は、木村先生の帰神(かむがかり)の会に列席する。霊媒の青年川崎重男君に、2・26事件の将校たちの荒魂(あらみたま)や、神風特別攻撃隊の勇士たちの荒魂が憑依する。彼らは、昭和天皇が終戦後「自分は神でなく人間である」と宣言したことを、激しく非難する。明け方になって、ようやく英霊たちは神界に帰るが、その時すでに川崎君は死んでいた。
『古事記』中巻 仲哀天皇が闇の中で琴を弾き(*→〔琴〕1)、后(=神功皇后)が神がかりとなって、神託を告げる。しかし仲哀天皇はこれを疑ったので神は怒り、「汝は一道(ひとみち)に向かえ」と命じた。火をかかげて見ると、仲哀天皇は崩じていた〔*『日本書紀』巻8仲哀天皇条では、天皇は8年9月5日に神託を得て疑い、翌9年2月6日に急病で崩じた、52歳であった、と記す。巻9神功皇后摂政前紀=仲哀天皇9年12月条の「一云」では、神託の夜に発病して崩じた、とする〕。
★3.いつわりの神がかり。
『笑賛』(明・趙南星)「端公」 北方には神おろしを行なう男子がいて、これを「端公」と呼ぶ。ある時、端公の留守中に、神おろしを依頼する客があった。やむなく弟子が、神がかりになったふりをし、でたらめを言って謝礼をもらった。弟子がこのことを師匠の端公に報告すると、端公は驚き、「どうしてお前はわかったんだ。わしはもともとそうやっていたのだ」と言った。
『アグニの神』(芥川龍之介) 印度人の老婆が日本の少女妙子をさらい、その身体にアグニの神を乗り移らせる。神は妙子の口を借りて予言をし、老婆はそれで金を稼ぐ。ある時、妙子は神に乗り移られたふりをして、「妙子を親元へ返さぬとお前の命を取る」と言って老婆を脅そうと考える。しかし妙子は意識を失い、本当にアグニの神が乗り移る。老婆は「妙子がアグニの神の声色を使っているのだろう」と思い、神の命令を聞かず、その場で殺される。
『続古事談』巻4-3 岩清水八幡の神の使いが、10歳ほどの少女に乗り移った(*→〔けがれ〕4)。神の使いは「成人に乗り移ると、その口から出る言葉が本当に神のお告げかどうか、疑われる。また成人は、けがれている。それで、疑われず・けがれてもいない少女に、乗り移ったのだ」と述べた。
『なまみこ物語』(円地文子) 春日明神に仕える巫女が語った。「神が私の身体にお憑(うつ)りなさる時は、意識を失って何も覚えていない。でも、人の命を絶つような重大な言葉が、私の口から出たことを後に知って、空恐ろしい思いをすることが幾度もあった。娘2人は巫女にしたくない」。しかし娘2人も母同様に巫女となり、藤原道長に命ぜられて、中宮定子のにせ生霊を演じた→〔生霊〕5。
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