社会福祉事業の拡大とは? わかりやすく解説

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社会福祉事業の拡大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 20:05 UTC 版)

ヨゼフ・フロジャック」の記事における「社会福祉事業の拡大」の解説

1946年昭和21年7月栃木県那須郡那須町御料地960,000坪を借り受け新たな総合社会福祉施設建設目指し開拓開始する街道沿いの土地を「聖ヨゼフの山」、奥まった土地を「聖マリアの山」と名付け那須事業所」を開設した同年12月には電灯線を引き込み、翌1947年昭和22年)には診療所設置した。この診療所付近無医地区だったため、近隣住民にも多く利用された。また1947年昭和22年9月8日、この那須事業所天皇皇后陛下が行幸啓を行った1947年昭和22年8月、東星小学校寄宿舎新設し「東星中学校」を併設激増した戦災孤児のため学園増築し、140名の児童収容する1948年昭和23年1月31日事業資金調達のため、アメリカ経由ヨーロッパへ旅行出発し、パリ・ローマ・ロデーズと巡り同年6月21日帰国する。この旅行中日本での功績認められフランス政府からレジオンドヌール勲章受章する。また教皇ピオ12世謁見した。 1949年昭和24年10月台東区坂本2丁目土地建物購入し診療所保育園併設した「坂本診療所」を開設する。翌1950年昭和25年4月には板本診療所地内に「上野保育園」を開設した1951年昭和26年)には徳田保育園隣接地3,000坪を購入し増築するまた、同年3月29日施行され社会福祉事業法により、翌1952年昭和27年7月、「財団法人 慈生会」を「社会福祉法人 慈生会」に組織変更した。 1952年昭和27年5月28日日比谷公会堂にて行われた結核死亡率半減記念式典にて、ただ一人外国人として表彰を受ける。那須事業所の聖マリア山の開拓進み同年9月には回復期患者のためのアフター・ケア施設完成し、翌10月には聖マリア山頂上に林間学校用の施設八角堂」が完成するその他に人工養魚池などが造られ1954年昭和29年11月山開き式典が行われた。この年までに聖ヨゼフの山は、60,000坪の開墾完了し診療所聖堂司祭館畜舎製材所など一連の設備整い、またトラピスト会招致し修道院一部完成していた。 1953年昭和28年4月、ベトレヘムの園構内に「慈生会準看護学院」を開設生徒13名が入学した同年7月にはベタニアの家構内徳田教会建設する。翌1954年昭和29年7月には東星学理事長として長年の功により勲五等双光旭日章受章する1955年昭和30年)にはベタニアの家隣接桐蔭学園結核予防会から購入100収容可能の「新ベタニアの家」を開設した1956年昭和31年6月、「東星女子高学校」(定時制)を開校する。また当時結核患者数減少する一方で精神病知的障害老人介護等の問題浮かび上がっていた。さらに那須事業所アフター・ケア施設立地条件悪く不評であったため、同年10月アフター・ケア施設として使用する予定だった建物転用し知的障害児施設光星学園」を開設した1958年昭和33年9月にはベタニアの家隣接地に「慈生会病院」を開設同年10月にはベトレヘムの園敷地内老人ホーム聖家族の家」を開設した

※この「社会福祉事業の拡大」の解説は、「ヨゼフ・フロジャック」の解説の一部です。
「社会福祉事業の拡大」を含む「ヨゼフ・フロジャック」の記事については、「ヨゼフ・フロジャック」の概要を参照ください。

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