社会福祉事業の拡大
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「ヨゼフ・フロジャック」の記事における「社会福祉事業の拡大」の解説
1946年(昭和21年)7月、栃木県那須郡那須町の御料地約960,000坪を借り受け、新たな総合社会福祉施設の建設を目指し開拓を開始する。街道沿いの土地を「聖ヨゼフの山」、奥まった土地を「聖マリアの山」と名付け「那須事業所」を開設した。同年12月には電灯線を引き込み、翌1947年(昭和22年)には診療所を設置した。この診療所は付近が無医地区だったため、近隣住民にも多く利用された。また1947年(昭和22年)9月8日、この那須事業所に天皇皇后両陛下が行幸啓を行った。 1947年(昭和22年)8月、東星小学校に寄宿舎を新設し「東星中学校」を併設、激増した戦災孤児のため学園も増築し、140名の児童を収容する。1948年(昭和23年)1月31日、事業資金調達のため、アメリカ経由でヨーロッパへの旅行に出発し、パリ・ローマ・ロデーズと巡り、同年6月21日に帰国する。この旅行中、日本での功績を認められフランス政府からレジオンドヌール勲章を受章する。また教皇ピオ12世に謁見した。 1949年(昭和24年)10月、台東区坂本2丁目の土地と建物を購入し、診療所と保育園を併設した「坂本診療所」を開設する。翌1950年(昭和25年)4月には板本診療所地内に「上野保育園」を開設した。1951年(昭和26年)には徳田保育園の隣接地3,000坪を購入し増築する。また、同年3月29日に施行された社会福祉事業法により、翌1952年(昭和27年)7月、「財団法人 慈生会」を「社会福祉法人 慈生会」に組織変更した。 1952年(昭和27年)5月28日、日比谷公会堂にて行われた結核死亡率半減記念式典にて、ただ一人の外国人として表彰を受ける。那須事業所の聖マリア山の開拓も進み、同年9月には回復期の患者のためのアフター・ケア施設が完成し、翌10月には聖マリアの山頂上に林間学校用の施設「八角堂」が完成する。その他にも人工養魚池などが造られ、1954年(昭和29年)11月に山開きの式典が行われた。この年までに聖ヨゼフの山は、60,000坪の開墾が完了し、診療所・聖堂・司祭館・畜舎・製材所など一連の設備が整い、またトラピスト会を招致し、修道院も一部完成していた。 1953年(昭和28年)4月、ベトレヘムの園構内に「慈生会準看護学院」を開設、生徒13名が入学した。同年7月にはベタニアの家構内に徳田教会を建設する。翌1954年(昭和29年)7月には東星学園理事長として長年の功により勲五等双光旭日章を受章する。1955年(昭和30年)にはベタニアの家隣接の桐蔭学園を結核予防会から購入、100名収容可能の「新ベタニアの家」を開設した。 1956年(昭和31年)6月、「東星女子高等学校」(定時制)を開校する。また当時、結核患者数は減少する一方で、精神病・知的障害・老人介護等の問題が浮かび上がっていた。さらに那須事業所のアフター・ケア施設は立地条件が悪く不評であったため、同年10月にアフター・ケア施設として使用する予定だった建物を転用し、知的障害児施設「光星学園」を開設した。1958年(昭和33年)9月にはベタニアの家隣接地に「慈生会病院」を開設、同年10月にはベトレヘムの園敷地内に老人ホーム「聖家族の家」を開設した。
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